2016年04月08日

系譜

最近、劇団員が異常に映画のDVDを観るようになった。
時代設定が同じ作品や、同じ方言の作品、空気感が似ている作品。
お互い情報を仕入れてはレンタルをしたり、購入したり、貸し借りをしている。
こんなこと今までなかったよなぁ、と思いながら見ている。
映像の演技ってなんだろう?って研究したりしている。

おいらが芝居の師匠だなと思っている人と初めて会った日。
その先生がいきなり口にしたことが今も忘れられない。
「僕はあなたがたに芝居を教えることはできません」
そう、先生は口にした。
その時はこれから先生になる人なのに、どういう人なんだろう?と呆気にとられたけれど。
芝居を続けていくうちに、真意を理解していった。

結局、芝居を教えることは不可能という事だ。
可能だとすれば、「型」を教えていくことしか出来ない。
基礎であれなんであれ、型を覚えることしか出来ないのだ。
しかも、その型を教わった若い人間が壊していく・・・文字通り型破りをしていく・・・ことで演劇は進んできた。
型を教わって、その型を壊す。
結局、何も教わっていないような、そんな繰り返しなのだ。

それでも学んでいかなくてはいけない。
芝居の中の大きな部分を占める「芸」の部分は、ひたすら修練と経験の積み重ねでしか身につかない。
この「芸」も結局教わることはできない。
芸に関しては、盗む以外に方法がない。
先輩や、或いは自分が好む芸を目で見て、肌で感じて、真似をする。
そして、自分のものになったと実感した時に、初めて自分の芸になっていく。
芸とはそうやって積み重ねられてきたもので、それが当たり前の世界だ。

昨今は、やれ、パクリだなんだとすぐに騒ぐ人がいるけれど。
芸を盗むことはパクりではない。
なぜなら、それが連綿と続けられてきたからだ。
つまり芸を盗まれた相手も、その先輩から芸を盗んだのだ。
いわば、芸を幾人もの人間で運んできた・・・継承してきた・・・と言う方が正しい。
芝居でも芸人でも、誰かが自分の持つ芸を継承してくれないかと期待すらしている。
それは、弟子だからできるというものでもない。
いつ、だれが、継承するかもわからない。
本当に芸を盗んでくれる人が現れない限り、続くことはない。

映画も結局、ヒッチコックやチャップリンの技術を継承している。
二人が作ってきた技法を使っていない映画なんてどこにもない。
音楽だってそうだ。
100年以上続くコード進行だってある。
リズムだって、ベースラインだってそうだ。
オリヂナルとは、ゼロから作ったものではない。
オリヂナルとは、自分のものになっているかどうかという事だ。

映画や音楽であれば、オマージュというのもある。
これは元々は尊敬・・・リスペクトするという意味で、過去の作品の影響化での作品を製作することだ。
最近は、オマージュ作品まで、パクリだなんて言う人がいるようだけど、全然違う。
有名な話で言えば、スターウォーズは黒澤明監督の「隠し砦の三悪人」のオマージュ作品として製作されている。
似た言葉でモチーフというのもある。
思想とか思いという意味の言葉だ。
過去の作品の持つテーマを新しい作品で継承する時などに使われる。
オマージュとモチーフは混同して使われることも多くて、今は殆ど同じ意味になっているかもしれない。

おいらが舞台版の成瀬役で御守をぶらさげたのは、明確な「男はつらいよ」へのオマージュだ。
織田さんも、新崎の軍服の着方に、実は、「仁義なき戦い」へのオマージュを入れている。
織田さんなんかは音楽の人でもあるから、過去の作品へのリスペクトの表現が巧みだ。

映画マニアは、過去の作品へのオマージュの部分を探すのが大好きな人なんかもいる。
あのシーンは、何年のあの映画のあのシーンをモチーフにしているシーンだ。だからあの画角なんだ・・・。
そんなことを見つけては、興奮している。
映画の歴史は決して長くはないけれど、既に、様々な作品が継承されているという事だ。

今、役者が様々な作品を観ていることはだからとても良いことだと思う。
観なくちゃいけないことはない。どっちでもいい。
観て何かを盗もうとするのは、ただ、至って普通の事だという事だ。
そして作品に影響されて、なんらかの芸を自分のものに出来るのだとすればもっと良いことだ。
数多く見る役者もいれば、同じ作品を何度も観る役者もいるだろう。
今、観ていないで、あえてこれからも観ない役者も、結局は過去に観た作品のイメージに影響される。
それだけ既にイメージが固まっているのかもしれない。

デビッド・宮原という映画監督がどんな映画を観てきたかそういえば知らない。
どんな音楽に影響されてきたか聞いたことはある。
どんな小説に影響されてきたか聞いたこともある。
けれど、そういえば、映像作品は、あれは面白いよ。ぐらいしか聞いたことがない。
けれど、劇団創立時から、映像に関しては、アングル一つとっても、イメージのある人だった。
むしろ、舞台を演出しているときも、映像的な絵を想像しての演出が多かった。
だからきっと、影響されてきた映像があるのだと思う。
それは、誰にも気づかれないレベルで、オマージュとなり、モチーフとなって、セブンガールズに現出するだろう。


つまり作品とは。
それまで、肌感覚で触れてきた作品たちの歴史そのものなのだ。
いつの日か咀嚼して、生まれてくるのを待っている。
そんな、たくさんの作品の、たくさんの思いの、塊が作品なのだ。

意外にも新しいものは、そういう処から生まれる。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 02:41| Comment(0) | 映画製作への道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする