2016年04月24日

ここだけ違う空気ですねと言っていた

今日、初めてスタッフさんをロケ候補地に連れていく。
もちろん、外観しか今日は見れない、そういう簡単なロケハンだ。
写真で見たり、話で聞くのと、実際に見るのとでは全然違う。
おいらは平気だったのに古賀Pは蚊に刺されていた。

実際に見ると、ここも連絡した方が良いかもしれない。
このスペースに車が置けたらいい。
近くで準備が出来る場所が必要等々、色々と出てくる。
すでに、車を置けるスペースと控室になる場所は確保してある。
更に、行政と町内会にも伝えてある。
現場で、様々な話と、起こりうるトラブルについての話も出る。
最寄り駅で別れてから家路についた。

普通、低予算映画の場合、セットの建込みというのが殆どない。
建込みをすれば当然予算がかさむからだ。
舞台屋には、そこがちょっとわからなくもある。
舞台は、建込みをするのが普通だ。
何故なら、劇場というのはただのスペースで、場合によっては客席すら並んでいないのが普通だからだ。
そこに舞台を組んでセットを建て込んで、客席を創って、初めてお客様が入る劇場になる。

でも、映像はそうじゃない。
劇場で劇をやらなくちゃいけないわけではないんだから、実際に今ある場所で撮影が出来る。
許可関係さえしっかりしていれば、街中でも、山の中でも部屋の中でも。
もちろん、大きな予算のある映画や、テレビドラマならセットを組む。
セットの方が照明を組みやすかったり、傷をつけてしまうなどの気を使う必要性も薄く、勝手が利くからだ。
おいらたちは、舞台を建て込むためにありとあらゆる方策を練ってきた。
セットを建て込むのは、当然、舞台であろうが映像であろうが予算がかかる。
材料費がないから竹やぶで竹を何本かもらってきたことだってあった。
実はこないだのコエキコでも、海道の筮竹を立てていた竹は、切り出してきたものだ。
そういうアイデアが必要だってことだ。
映像であれば、低予算の場合、セットを建て込むことをそのままやめてしまうという発想になるのは無理もない。

けれど、今回は時代感が重要になる。
やはり、そこが終戦直後に見えるか見えないかはカギになる。
普通の軽量鉄骨の建物が見える場所で撮影しても、時代感は出ないと思う。
コンクリの電柱が映っちゃったら、どこか醒めてしまう。
もちろん、最悪そういう可能性もあったのだけれど。
時代に取り残されたようなスペースに、更に建て込めれば、そこは終戦直後の空気を纏うことが出来る。

おいらは、カメラマンさんや照明さんがテンションが上がるような。
そんな空間を創りたいなぁとつくづく思った。
助監督さんが、ここもいいアングルだなぁ!なんて言い出すような、空間だ。
低予算映画でセットを建て込むのは大変な厳しい作業だけれど、やるだけの価値があると信じている。
その為には、あらゆる方法で、材料を探し、装飾を探す。
普通にレンタルしたり、買ったりしたら、あっという間に数百万、数千万という単位になるような。
そういうセットに遜色のないものが出来るように。
いや、そうじゃないな。予算で勝負するわけじゃない。
昭和にしか見えないように。違和感のないように。
足りないものを探し、どこかから手が入らないか注意深く準備していくだけだ。
そして、用意した材料で、杉本亮さんが、少なくても満足できるぐらいデザインできるようにするんだ。
むしろ、材料が余ってしまうぐらいに!!

デビッド・宮原のシナリオと。
吉田トオルさんの音楽と。
杉本亮さんの美術と。
おいらたちの芝居と。
そして、デビッド・宮原の中にある感覚でまとめられた編集があれば。
良い作品になるに決まっている。
そこに更に、素晴らしいカメラマンさんや照明さん、録音さんや、音響効果さんが付けば。
その為に、今出来る、準備の準備。
あらんかぎり、やっちゃるき!
なあに、舞台公演の準備期間に比べれば、充分な時間もある。
それに、舞台の準備期間は、公開の仕事も兼ねているんだから。
映像の方が準備の工程は多いけど、どってことないさ!

古賀Pはたくさんの異例に、たくさんの心配をしている。
大変な仕事だなぁ。
心配するのが仕事のようなものだ。
現場を見て。色々思ったこと。
帰宅したころにまた色々思うのだろう。
前ばかり向くおいらの傍に、こういう人がいることがどれほど重要か。

どんどんワクワクしちゃってるからさ。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 00:46| Comment(0) | 映画製作への道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月23日

無言の善意

東日本大震災でおいらが学んだことは、基本的に、シェアやリツイートはしないという事だ。
色々な情報が錯綜する中、その情報の中には、嘘も本当もまぎれていた。
或いは、本当のことを書いていても、政治的志向が加味されている発言も多かった。
一時ソースがはっきりしないものもあったし、辿ってみたら、怪しげなアカウントから始まるツイートも多かった。
だから、今回もSNSで、あまりシェアやリツイートをしないようにしている。
もちろん、善意で広めてほしいというものもあって、とても悩むのだけれど、基本的にやめておこうと思った。
恐らく広めた方が良いものもあるし、時間のある時にじっくり精査してからであるべきだと思ったからだ。
リツイートもシェアも自分の発言ではなさそうだけど、結果的には自分が広めているからだ。
悲しいかな、東日本大震災の時、おいらも直後にいくつかのデマを広げてしまったという反省がある。

もちろん、皆様のシェアやリツイートを目にする。
それに関しては、それほどなんとも思わない。
むしろ色々な情報を目にしている。
政治的志向の強いものは、スルーだけどね。
ってか、どっち側の人も、よくあれだけやるなぁっていつも呆れてるけれど。
言葉遣いがもう、あんまり受け入れないのばかりだから。
それで、その中でもどうしても気になるものもある。

それは「噴火」というワード。
気象庁が噴火活動には結びつくと考えていないと発表しているけれど。
どうしても気になってしまう。
あれだけ毎日九州の地図を見ていて、あの阿蘇山の巨大なカルデラを目にすれば、気になるのも当然だ。
大分の由布岳の辺りも震源になっていたりして、どうしても、怖くなる。
だから、思わず、噴火のことが書かれているリンクはクリックしてしまう。
恐怖心をあおられて、つい覗いてしまうのだ。
けれど、やっぱり、それも政治的志向の強いツイートだったりする。
ああ、引っかかったなぁっていつも思う。
そのたびに、SNSなんて見るのをやめようとか、変に思ってしまう自分がいる。

なんというか、すごい時代なんだよなぁと思う。
誰かが気になった記事があれば、それを共有できる。
共有した相手にひっかかるワードがあれば、更にそれが共有される。
あっという間に、根も葉もないデマさえ広がっていく。
エキセントリックなワードほど、最初のクリック数が上がっていく。
そして、急速に広がっていく。

思うに、それが、最終的に集団催眠や共同幻想みたいなものになりやしないか?と不安だ。
社会の雰囲気みたいなものがSNSで形成されて、社会に影響を与えるという事が既にたびたび起きている。
おいらが、自分にとって最大の敵だと思っているのが「集団ヒステリー」だ。
集団で何かに過激に反応して、思考がストップしている状況。
かつての黒船来襲も、国家高揚も、全てそういう状態だったはずだ。
SNSに、そういう危険性が生まれないことを祈るばかりだ。

終戦直後。
日本はある種の集団ヒステリーを各地で引きおこした。
在日アジア人に対するリンチなども実際に起きた。
その逆もあった。

パンパンが大量に生まれた原因はRAAにあると言われている。
RAAとは、国が占領軍が来る前に設置した、占領軍専用の慰安所だ。
いわゆる、占領軍用の巨大な娼館を国が女性を集めて作ったのだ。
けれど、RAA内部での性病の流行があって、GHQ側に解散を命じられた。
それまで、安泰な生活が約束されていた娼婦たちは、街に出た。
夜の街に、街娼が立ち、それがパンパンが一気に増えたきっかけになったという。
RAA設立時もパンパンがいたらしいという話もあるけれど、一気に増えたのは間違いなくRAAの廃止だ。
このRAAの設立理由が。
日本人女性が、占領軍兵士たちにレイプされる恐れがあるのを防ぐためだった。
これは、当時の政治家の記録にはっきり残っている。
国家が娼館を創るなんてヒステリックな事が起きたのは、敗戦による集団ヒステリーだと言える。
(とは言え、その後の占領時代、占領軍によるレイプ事件は後を絶たなかった事実もある)

今、SNSの人気ワードを生み出すことが出来れば、最大の宣伝効果になる。
けれど、どんなに素晴らしいネット広告コンサルも、完全にはコントロールできない。
出来るわけがない、相手は個人で、大衆の思考は常に流動しているから。
仕掛けを用意して、誰かがその情報を広げるところまでは行くけれど、あとは、どこまで広がるかは運次第だ。実は。
映画も、企業広告も、ネットで広がりそうな内容のプレスを盛んに出してる。
もちろん、成功した例もたくさんあるけれど、恐らくほんの一握りだ。

おいらは知ってしまった。
震災の時に。
ネットには善意だけが溢れているわけではないことを。
明らかに意図的にデマを流したり、明らかに政治的な志向をつけた記事を広めたり。
そういうものが、余りにも多すぎる。
おいらはSNSに大きな大きな期待をしている。
実は今も凄くしている。
このセブンガールズが完成した後に、試写会をして。
口コミで、少しずつ広がるといいなぁと思っている。
宣伝的な仕掛けよりも、誰かが発言したことが自然発生的に広がればいいのになぁなんて夢想する。
でも、実際にはそれだけではないだろう。
面白くなかったという発言がやたらに広がる可能性だってある。
悪意を持ったデマが広がってしまう可能性だってある。
何がどうなるかなんて、計算できない。コントロールできないのが口コミなのだ。
それでも、クラウドファンディングで起きたあの広がり方は、善意ばかりだった。
だから、今も期待しているし、信じたいなぁと思っている。

熊本に住む後輩が、毎日、頑張っている。
自分の家族だけじゃなくて、ご近所さんや、見ず知らずの人まで助け始めてる。
パワフルな後輩で、頼りになるやつだったけど、その行動力に頭が下がる思いだ。
シェアしようと、何度も思ったけれど。
とにかく、眺めることに決めた。
間違った、変な広がりをしたら申し訳ないと思ったからだ。
おいらが広めたせいで、誰かに偽善だなんて叩かれた日には目も当てられない。そう思ったからだ。
善意が、別の形になることもありえるんだ。
がんばれ、がんばれ、がんばれ。
そう思うしか出来ない事が歯がゆい。

でも、信じているよ。
うん。
結局信じている。
結局、残るのは善意だし、受け取るのも善意になると。
多少の取捨選択は必要だろうけれど。
そういう奇跡も何度も何度もみてきた。
世界中から東北にメッセージが集まったのを目にした。

消費される情報にだけはなっちゃいけない。
ストンと心に落ちていく。そして心に留まる。
そういう情報じゃないものを残していかなくちゃいけない。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 03:55| Comment(0) | 映画製作への道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月22日

つかの間

昨日、一昨日に比べて連絡が少ない日。

映画は総合芸術と呼ばれる。
映像芸術だけれど、そこに音楽が入るし、美術が入る。演技ももちろんだし。
様々な芸術分野が結集して、それがエンターテイメントになるのだから、凄いことだ。
そういう全てがあるのだから、その全ての準備が必要なのは仕方のないことだ。
踏み込んだのは自分なのだから、なんてこたあない。
映像芸術を覗けば、舞台芸術も同じ総合芸術だしさ。

全てが合致すると凄いパワーを生むと言われることもあるけれど。
その逆のパターンもある。
のんびりしたカメラワークに激しい音楽が流れたり。
精細な美術の前で、大仰な立ち回りをしたり。
どこかちぐはぐな方が、むしろ、パワーを持つような場合だ。
マッチすることよりもアンマッチの方が印象的になるという事がある。
単純にとても辛くて悲しいシーンに、あえて笑顔を創るのもそういうアンマッチの一つだ。
足りない部分を想像力で補うのが芸術だから、足り過ぎている映画や演劇は、あえて何かを削り取る。
走り抜けるシーンよりも、無表情の老婆の映像の方が多くを語ったりするのはそういうことなのだろう。

多分、そういう全ての事の為に、今、準備をしている。
結果的に出来上がった全ての物がマッチする必要性はない。
アンマッチをあえてさせるようなテクニックもきっと使われる。
そこがデビッドさんの監督としての編集作業での感覚になる。
昨日の話じゃないけれど、今、劇団に残るメンバーは、デビッドさんのこの感覚を信じている。
極論を言えば、不自然じゃなければ、デビッドさんは映画を創れちゃう気がしている。
音楽と映像と不自然じゃないレベルの美術さえあれば。
それをどうとでもしちゃうのかもな・・・そんな風に思う。
それでも、マッチならよりマッチに、アンマッチならより強いギャップに。
少しずつクオリティを上げていけば、それ以上の物になると信じている。

連絡が少ない日。
なんとなく無意識にそれがわかっていたのか、少しだけ体調を崩した。
微熱感のある日。軽い頭痛とか。
あ、今日、なんか少しだけしんどいなぁ。
そんな日だった。

まだまだ。
撮影準備は続く。
撮影日だってやってくる。
その後編集があって、いよいよ公開までの日も続いていく。
どう考えても、1年がかりの製作になる。

そんな時に、こんなふうにふと連絡も来ず、体調もよろしくなく。
ああ、これはそうか。
休めってことか。と感じた。
OK、無理はしない。
今日は、休息日。
それもほんのつかの間の休息日。
早々に用事を済ませて、睡眠をとった。
なんだか、いつもより深く深く睡眠の世界に落ちていって、それから起きた。
今、異常に頭がクリアな状態だ。

長い間「劇」に関わってきた。
今、おいらは、今までだったら、歴史に埋もれていったであろう「物語」を再構築する道を創っている。
あの劇も、その劇も、本当は再構築したら、とても面白いのに。
結構、強い使命感も持ってるみたいだな、おいら。
チンピラみたいな風体で、ぶらぶら歩いているおいらが色々企んでること。
その辺のお姉ちゃんもあんちゃんも気付いちゃいない。
うふふ。
面白い事やってるんだ、おいら。
いいだろう?わからないだろう?

そういえば中学ぐらいの時に将来について考え始めた。
おいらは、わりに、そういうことを哲学的に悩む青少年でさ。
とくかく、「甲斐」というものを求めていた。
ただ生きるのは嫌だ。
やりがいのある仕事、生きがいのある人生、そういう場所に行きたいと漠然と思ったなぁ。
今、こんなふうに休息日を迎えて。
なんちゅう、自分を選んできたんだと、ちょっと笑っちゃうよ。

さて。
もう一度布団にもぐりこむとするか。
あの胡乱な世界に、もう一度ダイブする。
朝が来れば、もう一段回、体が軽くなっているだろう。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 03:57| Comment(0) | 映画製作への道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする