2016年04月30日

ふらりと。そんな感じで。

本日は候補地1の彫刻家の方々の展覧会に足を運ぼうと思っている。
もちろん、行ってもあまり会話も出来ないだろうと思うけれど。
実際にあの現場で彫刻をしている姿は何度もお見掛けしているけれど。
それが、ディスプレイされると今度はどんなふうに見えるのか。
なんというか、とても楽しみだ。

折角、足を伸ばすから、その後、少しその近辺の元赤線地帯を観に行ってみようかなぁなどと漠然と考えている。
昔の地図を見ると、足を伸ばせない距離ではないし、現在のその地を見ると建物だけは残っていたりする。
おいらたちは、今度の映画で終戦直後のバラックをイメージしているから、ちょっと違うのだけれど。
おそらく1950年代の、カフェやダンスホールと呼ばれるようになってからの建築が残っているだけだ。
だから、観ても、なんら参考にならないかもしれない。
それでも、なんとなく空気感を感じられるかもしれないと淡い期待を持っている。

それにしても展覧会だとか個展だとか。
年に1度も行かない・・・。
いつも行くと、自分のペースで見続けるだけなのだけれど。
それでも、行くと、何かしらの刺激はいつも受ける。
それと、なんというか、ちょっと特別な時間を過ごしたような気になる。
展示された作品の事だけを考える時間というのは、後から、ああ特別な時間だったと気づく。

おいらたちは、残る芸をやってきたわけではない。
舞台は、刹那の芸だ。
演じても、それは通り過ぎていく。
記録は残しているけれど、それはあくまでも記録でしかない。
音楽の世界に生きる人は、レコーディングとライブがある。
ライブをメインにしている人は、そこで、色々と思考する。
逆にレコーディングをメインにしている人は、ライブについて思考する。
どんな風に挑むべきか。
メインストリームにしているほど、根本的な部分は既に完成しているからだ。
メインじゃないほうが、未完成だから、思考を必要とする。
劇団が映画をやろうと考えることは、やはり、残るモノを創るということに思考が必要だ。
両側からのアプローチは、本当なら自然の事で、もっともっとあっていいものだ。

彫刻や絵画は、残るものだ。
最近は絵を描く姿や、石を掘る姿を見せるライブもあるようだけれど。
基本的には、残るものを創る。
残ったものに誰がどんな思いを描くかは、もう、作家の手を離れていく。
全てが、正解。全てが正しい解釈。
そのぐらい割り切らないと、恐らく残るものなんか創れない。

ピラミッドや古墳から、美術品が出土することがある。
美術、芸術は、つまり、古来からあったということだ。
生活が今ほど豊かではなかった時代に、衣食住とはかけ離れた美術があったのだ。
美術、芸術は、人間の本能的な部分に直結する何かを持っているのだと思う。
王族、貴族の墳墓だけではなく、簡単な装飾品が見つかるのだから、間違いない。
出土した土器を見て、故岡本太郎氏が驚いたのも有名な話だ。
武士が持った刀だって、ただ斬るものではなくて、拵えがある。
常に生活と美術、芸術はリンクしてきたという事なのだろう。

何百年も経ってから、駅前のモニュメントが掘り出されたらどんなふうに言われるのだろう?
ひょっとしたら、イースター島のモアイ像のように、世界の七不思議になるかもしれないね。
残るというのはそういうことだ。
誰かが、それを見て、何かを思う。
それは、想定などできない何かだ。

おいらみたいなあんちゃんが。
ふらりと展覧会に現れて、作品を観る。
彫刻家の方々は、どう思うのだろう?
ぽけっと何かを考えている姿を見て、何を感じるだろう。

今日、展覧会に行くのも街に出るのも、さして、意味はないかもしれない。
実際に何かのプラスになるために行くわけではない。
それでも、こういうことが大事なんじゃないかって、どこかで思っている。


posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 09:53| Comment(0) | 映画製作への道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月29日

heartbeat

今週は稽古がない。
シナリオの続きが楽しみで仕方ないからとても困る。
まぁ、仕方がない。
展開が分かっているのに、映画シナリオだとどうなるのか。
あの先が、本当に面白さが出てくるからさ。

まるで、中学生の頃の少年ジャンプだ。
おいらたちの世代は、団塊Jrとか、BB2と呼ばれる世代だ。
日本の人口の中で、おいらたちの世代が購買層のメインを務めている。
だから、おいらたちが子供の頃に流行った作品は今もrevivalされたり関連商品が売られる。
ガンダムしかり、ジャンプ漫画しかり。
あの頃、ジャンプがどのぐらい凄かったか。
とにかく、数百万部も発行していて、全員が我先に手に入れようとしていた。
ドラゴンボールや、北斗の拳、キャプテン翼、今も話題になるような作品がいくつも連載されていた。

ジャンプが、すごかったのには、実は理由があったのだという。
人気が出るノウハウというのが系統立てて確立されていた。
テクニックとして、その週のラストに何を持って来れば人気が上がるのかとか、見開きページには何を書けばいいのかまで。
ドラゴンボールは、「かーめーはーめー」で来週!というのに、何度やられたことだろう。
とにかく、最後まで読むと、もう次週が気になって仕方がないように工夫されていた。

ハリウッド映画も実は、シナリオ作成において、必ずヒットするノウハウがあるのだという。
ある程度、そのテキストのルールに則っていないと、企画段階で何度もダメ出しが出るらしい。
それじゃあ、同じような話になってしまいそうだけれど、それでも作家ごとの個性は出るようだ。
そのノウハウの全てを詰め込んであるのがハリウッドだという。
そんなの、読もうとも思わないけれどね。
でも、やっぱり、それはあるだろうなと思う。
例えば、日本で言えば、起承転結という考え方がある。
殆どの物語は、この起承転結で構成されている。
まぁ、ざっくりとした四分割の構成方法だけれど、確かに物語はそれがあるだけで、面白くなる。

デビッドさんのこれまでの台本、作品群を見ると、この起承転結が実はしっかりしている。
物語は、導入部があって、それが展開していって、どこかでひっくり返って、閉じていく。
ただ、唯一、この「セブンガールズ」だけは、そういう構造をとっていないように思える。
構造だけではなくって、いわゆるハッピーエンド的な、いわゆる結末というものが、多くの作品とは違って、お客様の想像力に委ねる部分が大きい。
見る人によって、どんな結末なのか意見が分かれるような終わり方をしている作品は意外に少ないのだ。
実は、デビッドさんの作品群の中では、ちょっと変わった作品ということになりそうだ。
なりそうなんだけれど、やっぱり、とてもデビッドさんらしい作品になってる。
この辺のバランスがとても面白いなぁと思う。
構造も、展開も、結末も、いつもと違うのに、やっぱり、らしさが残っているというのは、とても重要な事だ。
それは、らしさというものが、物語の骨格とは別のところにあるという意味だからだ。
作家の持つ味というのは、おいらは小説でも映画でも舞台でも、ついつい注目するのだけれど。

おいらが現時点でのセブンガールズのシナリオを読んでいて。
舞台と映画という足場が変わっている中で感じていることは、実はその辺の部分だ。
ああ、やっぱり、デビさんはデビさんなんだなぁ。そういう感じ方。
もちろん初稿だから、ここから更にソリッドになっていくのだけれど。
無駄に見える部分に、すごく美しさが潜んでいたりする。

だからこそ。
先週貰った台本の続きが気になる。
そこから先をどんなふうにシナリオにするのか、今からドキドキしている。
おいらはきっと、まず最初にビートを探す。
デビッド・宮原の書く言葉だけが持っているBEAT。
それが掴めると、一気に体に落ちてくるから。

映像は編集出来るから。
出来上がりにも、デビッドさんのリズムやビートが出てくるんだろうなぁ。
舞台よりもずっと、ピュアなエキスになると思う。

そこにいる観客の呼吸音、鼓動。
それが作品のビートと共鳴した時に、この作品は完成するのだと思う。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 04:08| Comment(0) | 映画製作への道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月28日

「怪獣の教え」の再演に思う

怪獣の教え」の再演が発表された。
あれから半年か・・・。
丁度、クラウドファンディングの準備をしていた頃だからそんなに経っていない筈なのだけれど。
このBLOGももう開始していたし、このBLOGにも何度も書いた。
考えてみればあの頃からこのBLOGを書き続けているんだなぁ。

もちろん、再演は知っていた。
いつ発表されるのかなぁと思っていたところだ。
今回は劇団員でお手伝いすることもない。
PARCOが入っているから、恐らく、手伝う必要性もないはずだ。

なんというか不思議な感じがするよ。
そもそも知り合いというだけで、映画美術をやっている杉本さんが前方公演墳の美術を担当してくださった。
そんなクロスオーヴァーが、いつの間にか面白い流れになった。
映画屋の杉本さんが舞台をやりたいと言い出して、舞台屋のおいらたちが映画をやろうと言い出したのだから。
「怪獣の教え」をおいらたちで手伝って、「セブンガールズ」で杉本さんが美術を担当してくださる。
なんというか、本当に交差点のようだ。
初めての舞台だから、何をしていいかもわからなかったところから知っているけれど。
上演後すぐに再演の話が持ち上がって、やれるといいね。やりたいねと盛り上がっていた。
そして展開したのだから。
「セブンガールズ」の映画も展開していくと面白いなぁと思う。
映画の展開っていうのがどういう広がり方なのかはまだまだ未知数だけどさ。

刺激。

結局、それを常に求めている所がある。
おいらなんかは、間違いなく、杉本さんの美術の仕事に刺激を受けたしさ。
音楽の世界に飛び込んだ時なんか、毎日が刺激だらけだったよ。
舞台をやっている人間は、わりに、そういう刺激を求める。
ライブに行ったり、絵画を見たり、総合芸術な部分があるからより強い。
もちろん、閉鎖的な舞台人というのもいるにはいるけれども・・・。
その刺激が大きいか小さいかも大した問題じゃないんだよなぁ。
ほんの小さな刺激でも、大きなきっかけになったりするから。
こんな世界がある。こんな凄さがある。
別の価値観を一つ自分の体で、肉体感覚まで落とせたら、絶対に何かが生まれる。

再演が決まった!っていうだけでも、刺激になる。

今、そういう新しい刺激を皆が体感している。
これまでにない稽古方法。
これまでにない本読み稽古。
これまでにない知識の蓄積。
これまでにない映画の見方。
今までやってきた演技の延長線上にあるはずなんだけど。
それでも、刺激はある。

刺激から、何かが生まれるといいね。
何かが生まれて、展開していくといいね。

でも、もっと欲しい。
もっともっと欲しい。
強烈な刺激が欲しい。
これだ!これを待ってた!そう言えるような。

このプロジェクトが動き始めてから半年。
刺激的な毎日。
おいらは、どこか中毒になっているのかもしれない。
あの赤レンガ倉庫の日々を思い出す。
あの時はまだ、映画化できるかなんて未知数だった。
ただただ、走り回った毎日だった。
自分を裏切らないように。正直に。
あっという間の半年だったけれど。

まだまだ半年しか経ってないんだとも、思った。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 01:58| Comment(0) | 映画製作への道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする