横浜に連れ込み宿の潰れた物件が残ってるかもしれないという情報があって。
ちょいと観に行ってみようかなぁと思っていた。
ほぼほぼ撮影するのは難しいと思うのだけれど、行ってみるだけ行ってみようと。
そう思っていたら、今日から公開の「リップヴァンウィンクル」の花嫁に合わせて。
「スワロウテイル」をケーブルテレビで録画していたのを思い出してつい観てしまった。
気付けば映画に見入って、ほろほろと泣いている始末。
色々なねぇ。
思い出があるね。
映画っていうのは。
観に行った頃の思い出までぶり返すというか。
まさかもう20年も経過しているなんて。
そうかぁ。そうだよなぁ。
あの頃、岩井俊二監督って言えばもう神様みたいな存在でさ。
「PiCNiC」とか、「FRIED DRAGON FISH」とか。
どの作品も面白くて、かっこよくて、おしゃれで、切なかった。
若い才能が突然出てきたっていう感じでさ。
おいらの世代で俳優やってれば、皆、岩井監督の映画を観てたと思う。
映画について話したこととかさ。
当時付き合ってた女の事とかさ。
カラオケで、イエンタウンバンド歌ったりね。
思い出すねぇ。
映画って、時代性があると思うのね。
その時代に上映されるからこそっていう。
久々に観ても、当時見たものとは絶対に違っちゃう。
だって、その時代に、その時代の技術で、その時代の感性で撮影されてるからさ。
昔、熱中した映画でも久々に観ると、もちろん面白いんだけど、同時にどこか色あせているというか。
少なくてもおいらはそう思ってるの。
だから「七人の侍」だって「東京物語」だって、名画座まで見に行ったんだけどさ。
すごく面白くて、すごく感動したけれど、必要以上に影響されないように気を付けてた。
感性まで古くなっちゃいけないと思うからさ。
だから、やっぱり、今見ても新鮮だし、すごい感性なんだけど、やっぱり当時とは違って見えた。
違って見えたんだけどさ。
逆に、今になって気付くこともたくさんたくさんあったよ。
ああ、そうか。ここはこんなに切なかったんだなぁとかさ。
なんとなく観ていて苦しかった思い出とかがあってさ。
なんとなくもう一回観るのをどこか避けていたんだけどさ。
なんというか、社会的弱者の娼婦の話なんだよな。
なんか、観ておかなくちゃいかん気がするなって思ったんだよ。
ハタチそこそこのおいらが見たアゲハと、40過ぎたおいらが見るアゲハ。
こんなに違うんだなぁ。
当たり前だけど、当時は14~6歳設定のアゲハの方が年が近かったしさ。
少女という風に観てなかったのかもしれない。
青少年的な世代を完全に子供って見てなかったんだろうなぁ。
それが、今見ると、もう、10代なんかすっげぇ子供でさぁ。
子供だって思って見てたら、もう、切なくて切なくて。
グリコの恋愛もね。うん。
全然、違ったなぁ。
なんか、当時のおいらと、この映画の談義をしたいよ。
今、思うとこの映画は日本国内の上映よりも、海外を視野に入れていた映画だったのかなぁ。
そんなこと、全然、当時は思っていなかったけど。
考えてみたら邦画なのに、殆ど日本語のセリフがないし。
タイトルも、スタッフロールも、全部アルファベットなんだなぁ。
予算も掛かってる。
「あおぞら」も、阿片窟も、特効も。
海外での上映を目指していたんだろうなって思った。
そういうスケールだったんだなぁ。
まぁ、なるべく「日本」じゃなくて、無国籍な感じを出したかっただけなのかもしれないけれど。
もうその流れでさ。
昭和31年の市川崑監督「日本橋」なんかも観たよ。
芸者の話だけどね。
泉鏡花の、芸者の置屋を舞台にした話。
もう、現代から見たら、終戦直後みたいな頃の映画。
その頃の娼婦の映画だからさ。
ためになるんじゃないかって。
娼婦の周りにいる男達。
それについては、なんというか、思った通りというか。
すごく良く分かった。
特にこの「日本橋」で、なんというか、そうだよなって思えることがあった。
芸者としてみないと決めていた男が、自分が無意識に芸者としてみていることに気付いた時のお芝居。
そう。この感じ。この感じなんだよ・・・って思ったりした。
なんだか、毎日毎日。
あれやこれやとしていてね。
あれやこれやと考えてね。
そんな日々だったのだけれども。
今日は、吸収する日になった。
本を読んだりさ、なんとか、欠かさずに吸収するようにはしているけれど。
新しいものも吸収しないとだね。
咀嚼して、栄養になるのは意外と先になるんだけどさ。
こんな日もいいか。
横浜も行きたいんだけどね。