ロケ地はもちろん候補1の場所だけじゃなくて、他も探している。
ただ足を伸ばせる距離にはなかなか見つからない。
ロケーションサービスと言って、各地方自治体が映画撮影の誘致活動をしている。
遠すぎることがなければ、ロケーションサービスのロケ地一覧は見るようにしている。
もちろん、地方に行けば行くほど交通費や宿泊費がかさむため、中々上位にはいかない。
予算割が確定すれば、まだ色々と計算が立つのだけれど。
写真を確認する時に最初に見るのが舗装だ。
都心部だけではなく、今は本当にどこも舗装されている。
もちろん、終戦直後に舗装されていた場所がなかったわけではない。
いくら焼野原だと言っても、舗装されたアスファルトまで焼けるわけではない。
それでも終戦直後の写真を見ると、ほとんど舗装された道が写っていない。
占領軍基地回りと主要幹線道路ぐらいしかなかったんじゃないだろうか。
それに、真奈ちゃんが水たまりを覗く以上、やはり舗装されていると芝居が限られてしまう。
それにしても、驚くべきことだな。これは。
実際、自分が子供の頃を思い出すと、舗装されていない道なんか山ほどあった。
轍が道をボコボコにしてさ。
そこらじゅうに水たまりがあった。
真冬に氷が張るあの水たまりだ。
初夏にはどこからやってきたのかわからないけれど、アメンボがいた。
早春にはあちこちにたんぽぽが咲いていたり、ツクシンボが顔を出してた。
今の時期なら、ぺんぺん草を引っこ抜いて、ペンペンしながら家に帰った。
あの道はどこに行ったんだろう?
子供の頃に歩いた土の道をGoogleマップで確認してみたら。
当たり前のように舗装されてたよ。
それも、車が通れないような細い道まで舗装されていた。
あの幼稚園に向かう途中の小道も。銭湯の前も。用水沿いも。
四葉のクローバーもみつけられないじゃないか。あれじゃ。
立ち小便も出来ないよ。
粘土みたいな土だった。
雨を含んだ次の日は、ねばりのある土だった。
遊んだ原っぱさえ、舗装されたパーキングになってた。
今のアスファルトは昔の物から実は大きく大きく進化している。
轍がすり減らすことも少なくなったし、水はけまで良くなってる。
直線とカーブでは材料を変えている場合だってある。
工事中の場合は仮舗装で、スコップで掘れるような柔らかい舗装だってある。
雨が降った次の日のあのむせるような雨の匂い。
どうりで最近は薄くなっていたわけだ。
雪が解け始めると、雪と土が混ざって、ぐちゃぐちゃになってさあ。
本当に歩きづらかった。
生活がどんどん便利になってる。気付かないうちに。
暮らしやすくなってる。
発展してるんだ。
道路は国道以外は自治体の管理。
都内だけじゃなくて、地方もどんどん舗装が進んでいたんだなぁ。
個人宅の庭や、公園を除けば、ほとんどの土地に蓋をしたわけだ。
それはあの不便なぐちゃぐちゃの水たまりや、むせるような匂いや、たんぽぽの綿帽子に至るまで。
上から蓋をして隠したんだな。
日本はきっと気取ったんだよ。
本当は大昔からの島国でさ、土いじりしながら生きてきたんだけどさ。
先進国だ!アジアで一番だ!ってさ。
まるで、お化粧をするように、どんどん舗装したんだ。
おかげで外国人旅行者は、綺麗な国だって言ってくれるよ。
海を埋め立てて、コンクリートとアスファルトで、もう一度、この国を創ったんだ。
でも、何故だろう?
あのたんぽぽの花が恋しいのは。
あの水たまりが懐かしいのは。
土の匂いを思い出してしまうのは。
皆、自分を知ってる。
自分の理性と言う皮を一枚剥いだらどんな人間かわかってる。
本当は汚いところがあるところ。
どうしても治らない悪癖があるところ。
どうにも出来ない欲望や、どうしょうもないダメなところ。
本当言うと、バカだってわかってるところ。
自分だけがダメな人間なんじゃないかって不安になったりもする。
知っているから、時々、覗いてみたくなる。
誰かの本音や本質を知ってみたくなる。
自分だけじゃないんだって、確認したくなる。
政治家や、芸能人を吊し上げて、安心する。
取り繕った綺麗な顔を見ているだけじゃ、どうしても、不安になるから。
感情がむき出しになってしまうような場面を、物語で確認する。
エンターテイメントを体感して、自分の感情を揺さぶってみる。
個人でさえそうなのに。
国と言う単位で、都市と言う単位で、それが起きた。
明治の文明開化から、富国強兵を目指して、列車を走らせて、西洋館を建てまくった。
極東アジアに、世界標準の都市を建設していった。
それが大空襲で全て、引きはがされた。
焼夷弾に焼かれて、ただの土塊の街が、顔を出した。
でも、そうなったときに、本当にエネルギッシュに都市が動き始めた。
あっという間に廃材でバラックを建てて、闇市マーケットを創って。
ないはずの物を、田舎でもどこでもでかけて仕入れて売り飛ばした。
日本人の持つ本質みたいなものが一気に噴き出したのが、戦後というのは皮肉なんだろうか。
今、また日本は舗装されている。着飾っている。
大空襲はごめんだけれど、人はこの国の本質を求めている。知りたがっている。
かっこいいのが最優先みたいな世の中に、少しだけ辟易している。
「本当」を求めてる。
おいらたちがやることは舗装をはがすことだ。
取り繕っている何かをはがして、人間の瞬間を見せることだ。
何もなくなった街に、人間の本能がうずまく、パンパン宿を再現することだ。
かっこよさなんか、いらない。
かっこ悪さを見せられるすごさがあればいい。
そこにあるのは、ぐちゃぐちゃになった、粘土層の土塊かもしれない。
けれどどこかにきっと、
たんぽぽが咲いている。