2016年03月21日

暑さ寒さも彼岸まで

シナリオは進む。
変わった部分だけでもまとめておかないとだ。
確実に、シナリオは進んでいる。
進んだ台本も、やはり、絵が思い浮かぶものだった。
場面をまとめて、登場人物の追加もまとめておこうと思う。

明けて今日はお彼岸だ。
親父に線香をあげよう。
親父が生きているうちに映画に出たかったなぁ。
もしそうなったら、なんて言っただろう。

春分の日から、昼夜の長さが逆転する。
正確にはそうじゃないらしいけれど。
古来から春分の日は天文学的に重要な日だった。
今も、記録に残らないほどの歴史があるような神社は、春分の日に境内にいると、丁度、鳥居の真ん中を太陽が昇るという。
山の上の神社は、古来より天文を確認する場でもあった証拠なのだそうだ。
暦や時間は、山の上の神社やお寺が知らせていた。

変わらない太陽と地球の関係。
公転と自転。
1000年前も100年前も、春分の日から、春がやってきた。
最近は、春分の日を過ぎてからも寒の戻りがあるから油断禁物だけどさ。
明確に明日から春だよ。ってお知らせは、なんとなく心が弾む。
街を歩けば、卒業式の格好を見かけるようになった。
後は、桜が舞うのを待つばかりだ。

彼岸。

簡単に言えば「向こう側」だ。
カノキシと訓読みした方がわかりやすいのかもしれない。
実際には、「向こう岸に渡った」ぐらいの意味まで含んでいると聞いたことがある。
もちろんそれは、観念的な例えで、一種の悟りを得るという意味だ。
昨日までとは違う世界に至ったということなのだろう。

「劇的なるもの」とはなんなのか?
多くの先人たちが、演劇で繰り返し探してきた。
日常は、ほんの簡単なキッカケで非日常にひっくり返る。
そのキッカケこそ、劇的なるものかもしれない。
それまで生きてきた世界がガラリと風景を変える。
自分の状況が変わるだけではなく。
もし、自分自身も変わるのであるとすれば。
その自分が変わることこそ、本当の「劇的なるもの」で、これこそ「彼岸」なのかもしれない。
「劇」とは、何かに至り変化するサマを見せるシステムなのだから。

思えば自分自身の生きてきた毎日の中で。
とても日常とは思えないような「劇的な」瞬間がいくつあっただろう?
自分自身の変化に至らなかったことも多いけれど。
自分自身の見える世界が確実に変わったことが何度あっただろう?
幾千年繰り返された星の営みの中で。
小さな悟りと小さな変化が、毎日どこかで起きている。


・・・10代のガキの頃。
好奇心ばかりが先行して。
大人たちがダメだという言葉も耳に入らず。
思いきって大人の世界に飛び込んだ。
そんな日の話をした。
織田さんは初めてLIVEに行った日の事を。
幸子は、初めてディスコに行った日の事を。
おいらは、高校生なのに、雀荘に一人で飛び込んだあの日の衝撃を。
物語の中で描かれる登場人物は、必ず、そんな一歩を踏む。
恋に夢中になって建物に忍び込むロミオのように。
夢中になって夢中になって、大きな一歩を踏み込む。
そして、劇の登場人物は自分の見ていた世界を広げていく。
パンチパーマに口髭のおじさんに囲まれて、麻雀牌を握りしめたあの日。
確かに、おいらはそれまでの自分から、ここからの自分に生まれ変わった。
ロミオの人生が変わってしまったように。
「劇的なるもの」は、今もすぐそこに転がっている。
セブンガールズには、いったいいくつの劇的な瞬間があるだろう。



春と秋に、彼岸がある。
季節の変わり目だ。
春は牡丹でぼたもち。秋は萩でオハギ。
季節が変わることは、もう、それ自体が劇的だ。
それまでの風景から、これからの風景に変化するのだから。

気付けば、花吹雪が舞う。
新入生の晴れ舞台だ。

花吹雪の下では、誰もが、物語の登場人物だ。最高の演出だ。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 03:05| Comment(0) | 映画製作への道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする