ロケ地候補を探している最中に、色々なところにふらりと覗きに行ったり、検索している中で。
画像検索に、ああ、ここはいい!と思う場所があった。
ボロボロの長屋、戦後バラックのような見た目。
すぐに、そのサイトに飛んでみたら、それは、タイだった。
BLOGに掲載されたタイだ。
実は、そういうことがよくある。
タイや東南アジア・・・あとはオリンピックやワールドカップ開催が決まって、区画整理している国。
ブラジルや、北京なんかの、いわゆるスラムと呼ばれる地域の写真が掲載してある。
日本には少なくなっているスラム街、貧民窟は、世界にはまだまだある。
シンプルな海外旅行ツアーのプランには絶対に入っていない。
小犯罪も含めた犯罪の巣窟になっているからだ。
もちろん、日本にスラムがないとは言わない。
余り報道もされないけれど、実際にはある。
今またどんどん消えていっているけれど、あることにはある。
不法占拠だとか、朝鮮部落だとか、聞いたことがある人もいると思う。
それでも、世界中の国々に比べたら、スラムはとても少ない国だ。
新宿の思い出横丁で、深夜まで海外の旅行客が焼き鳥をつまむなんて。
他の国で考えたら、ちょっと信じられないような安全性なのだ。
ニューヨークにだってスラム街があってツアー客が入ってはいけない地区があるのだ。
日本で育ったおいらたちには、なんのことない普通の事のようにも思える。
でも、そうじゃない。
日本が異常だ。
スラムがほとんど存在しない国なんて、異常の事だ。
かつて東京が焼け野原だったとき、一面のバラック街だったことなんか想像も出来ない。
なんていうか。
もちろん、理由はやまほどある。
狭い国土という事もあるだろうし、貿易立国であるとか。
歴史で見ても、朝鮮戦争であるとか、田中角栄であるとか。
様々な要因が、この国を豊かにしていって、スラムを消していった。
おいらが思うのは、世界のレベルで、映画を製作したいんだということだ。
世界にはスラムが今もある。
世界にとっては、今の物語になるのかもしれない。
スラムの現状にリアリティがなければ、世界では通用しない。
でも逆を言えば、日本人よりもより強く響くのかもしれない。
そして、日本がスラムを脱していった理由をこの映画の中に探すかもしれない。
日本で映画を製作すればどうしても、国内の興行について考えなくてはいけない。
どうしたらヒット映画を創れるのかという要素が大事になってくる。
それがキャスティングからシナリオから、全てに影響を与えていく。
けれどこの映画は、日本での興業を考えないで製作できる。
だからその代わり、世界の視点をきちんと考えたいって思う。
スラムからは抜け出せない。
今まで映画で何度そのセリフを耳にしただろう。
海外の映画でスラム出身者が出てくれば、必ずと言う程、口にするセリフだ。
そして、やっぱり夢を見て。
そして、やっぱり前に進む。
今の日本にスラムはほぼない。
けれど、実際にはスラムに見えないだけで、それに近いスラムがある。
抜け出せない現状。心のスラム。
何が貧しくて何が豊かなのかはわからないけれど。
あの焼野原に山ほどいた浮浪児たちが、汗を流して、スラムから抜け出した日々は豊かだったのかもしれないなと思う。
たくさん無理もしただろうけれど。そのシワ寄せみたいなものが今たくさん残っているけれど。
スラム街だけじゃなくて、もっともっと心も豊かで、誰もが自由な世の中を目指していたんだと思う。
中野区で起きた殺人を「劇団員殺害」と報道する大手新聞、大手マスコミ。
なんで「女優殺人」じゃないんだろう?
もしくは、個人名でも中野区殺人事件でもいいと思う。
彼らの目で見ると「劇団員」っていうのは、役者ではないんだね。
役者ではなく「劇団員」っていう生き物。もしくは一つのカテゴリ。
まったく、なんにもわかっていない。やれやれだ。
恐らく彼らの頭の中で劇団員とは、芸能の世界のスラムなんだろうなぁ。
だから、この映画は、芸能の世界のスラムから抜け出す劇団員の話でもあるのかな?
おいらは、全然、逆のことを思っているんだけどね。
地球の裏側の人は何をこの作品で観るのかな?
狭い狭い日本の常識ではなくて、その視点をどうしても考えてしまう。