「都内とは思えない」
昨日、デビッドさんが所用で稽古にいなかったと書いた。
そのままディスカッションになったのは、実は他にも理由がある。
それは、メールで受け取って出力した新しいシナリオのシーンが余りにも目に浮かんだからだ。
「これが見たかった」
そういう登場人物の姿がそのシナリオに書かれていた。
このシーンだけは、代役で観たくない。そう思った。
もちろん、キャスティングが決まっているわけではない。
だから誰がやるのかもわからないんだし、色々な人がやればいいのかもしれない。
でも、ダメだな、やっぱり。
今の時点で稽古をするなら、元の役でやった方が良いと思う。
そこからちゃんと本音でやり取りが出来れば、今より前に進むんだから。
あえて、ゼロからやる意味なんかまったくない。
そんな時間を過ごす必要性がない。
たまたま体調の問題などでその役者がいなかった。
それで、このシーンをやってもな・・・って、おいらは思った。
多分、他の何人かも思った。
シナリオって、文字で書かれたものだ。
実は似たような言葉がいくつかある。
台本、シナリオ、戯曲。
おいらは、わりにその3つを使い分ける。
時々、シナリオを台本感覚に感じていることはあるけれど、基本的には使い分ける。
シナリオは、状況まで書いてある。
そこがどこで、どんな場所で、どんな天気で・・・。
絵になる部分まで、全て書いてある。
その代わり、セリフには余り説明的な部分が少ない。
台本にももちろん書いてあるんだけど、台本には状況までは完全に書かれていない。
むしろ、暗転とか、明転とか、登場とか退場とか、段取りも書かれている。
舞台俳優にとって上演台本は設計図のようなものだ。
戯曲とは、読まれることを想定した文学だ。
だから、ト書きが延々と続く場合だってある。
シーン番号なんかもちろんないし、場合によっては心象描写まである。
その新しい、今まで持っていた台本とは違うシナリオを手にして。
一瞬で、頭の中にその映像が思い浮かんだ。
いや、映像だけではないんだ。
そこに流れる空気感、役者の表情、そして一番重要なリズム。
その全てをシナリオから感じ取った。
デビッドさんのいつもの台本にはリズムがあるんだけれど。
ひょっとしたら、シナリオの方がもっともっとリズム感があるのかもしれない。
そりゃ、カット割まではわからないよ。どこをどう切り取るのかは。
そこは楽しみに取っておくとしても。
でも、絵が思い浮かぶんだな。
ああ・・・って。
こういう場面っていうのは、もう、間違いなく。
書いてる時に絵が思い浮かんでいる証拠だと思う。
その状態で書いているし、作品を知っているおいらたちにはすぐに伝わる。
そんな場面がたくさんあるといいなぁ。
頭の中で瞬間的にイメージできるっていうのは特別なことだから。
それを演じる俳優のイメージと、シナリオのイメージと、バチン!と当たった時の事だから。
おいらは、よく、「当たり」を見つけるっていう言い方をするんだけどさ。
当たりって、一発でわかる。
ああ、これか。これをやれば良かったのかって。
こうなってくると、ただただシナリオが楽しみで仕方がない。
あのシーンはどうやって書くんだろう?
あのシーンはどんなイメージにするんだろう?
楽しみなシーンがまだまだ目白押しだからだ。
支援してくださった皆様に、シナリオを読ませたいぐらいだ。