稽古から帰宅。
稽古に行くとパンパンが踊っていた。
更に良くなるように。
細かい部分まで直していた。
おいらは、なんとなく耳で聞きながら新しい台本を読んでいた。
今日はデビッドさんが所用でいなかった。
台本は手にあるものの、稽古場に集まったメンバーで出来ることが限られていた。
初めてのディスカッションをしようと言った。
人数も少ないし、今日いるメンバーで共有できることをしておこうよ。
そういう話だ。
無駄になるかもしれない。
プロデューサーさんに言われた時は、なるほど!と思ったけれど。
誰も何も発言しないまま終わるのかもしれない。
もし、稽古がうまく続かなかったらの為に、デビさんからテーマももらっていた。
始めてすぐに金子さんが異議を唱えた。
別に話すことなんかない。
特に考えながらじゃ、自由に演じられないし・・・。
直前になれば当然、いつの間にか自分でも色々調べるし。
舞台でやってきたから、ちゃんとわかってるし。
別に話して何かになるものなのかなぁ・・・。と。
ならないかもしれない。
真面目にこんな映画にしようよなんて話し合うのも気恥ずかしいというのがあると思う。
やるに決まってるじゃないか。それ以上もそれ以下もないよ。
その覚悟が金子さんの中にあるから、あえてそう言ったのだと思う。
それでも圭君の話から徐々に始まっていく。
幸三はこの作品でどんな役回りだと思う。
そういう意見がちょろちょろと出始める。
始め、圭君とおいらだけで話していたのに。
幸子が参加して、樋口が参加した。織田さんも意見を言い始めた。
それが広がっていく。
他の役の話に移っていく。
舞台に上がってまだ何年も経っていない安達花穂に真奈をどう演じたのか聞く。
まるで違う感性に、面食らう。
もっとここを考えるといいんじゃないかなぁ。そんな話に広がる。
それぞれが、それぞれに思っていた配役や作品へのイメージがある。
一度撮影してしまえば、よほどのことがないかぎり、撮り直しの機会はない。
誰かの芝居を見て、あそこ違うんじゃない?みたいなことは、事前にしかできない。
そして、それを、いる人間全員でやる。
今までの少人数よりももっと大きな単位で、共有をしていく。
愛理の役割の話になった時。
少し、詰まる。
全員が、ちょっと考えるみたいな時間になった。
その時、そろそろと、金子さんが手をあげた。
俺が思う愛理って役の役割はさ・・・
金子さんが最初以来の話をした。
皆が納得した。
そうだ。その通りだ。愛理の役割は、そういう役割なんだって、皆が思ってた。
そこがうまくいけば、他のシーンにも良い影響があるよね。
そういう話にまで及んだ。
あのシーンとこのシーンは対比になってる。
前半にこんなチャンスがあるのに逃してる。
そんな意見が交錯していく。
樋口が最後に発言した。
このディスカッションをもっとしなくちゃいけない。
今度は今日いないメンバーもいる時に、全員でやっていかなくちゃいけない。
こうやって、自分たちで本音でこの作品について話し合うことは絶対に必要だよと言う。
気付けば最初に嫌がっていた金子さんも大きく頷いていた。
淀みながら始まった、ディスカッションの第一回目はこうして終わった。
当たり前のように飲み屋に移動したら、その人数で作品の話が続いた。
あのシーンの、あのセリフに、この役の性格が出てると思うんだ・・・。
あのシーン、映画だったら、舞台よりもちょっと違うやり方の方が良いと思うんだ・・・。
次々に話は進む。
高橋が何か言うたびに、全員が「それは違う」と言うお決まりまで生まれた。
撮影まで。
あと何回、こうやって作品について全員で話していけるだろうか?
一か月の撮影期間があるロケでの作品なら、ホテルのバーで毎日のように話すだろう。
けれど、今回は撮影期間は短いことが分かっている。
だから、撮影までに、共有した空気を作っていかなくちゃいけない。
自分のシーンの成立だけを考えているようじゃ、独りよがりになる。
誰のシーンの後で、どのシーンの前で、このシーンが他のどのシーンを生かすことになるのか。
それぞれが考えるんじゃなくて、皆で共有していく。
それは、きっと、大きな大きな作品のクオリティを上げる要素になる。
そこまで役者同志で、イメージを共有している映画作品なんてあるだろうか?
そこまで本気で本音でディスカッションを重ねた映画作品なんてあるのだろうか?
ほんの一部分しか話せなかったけれど。
もうそこに「夢」はなくなっていた。
いつもの。
今まで通りの。
作品に向かう「現実」だけがあった。