2016年03月11日

刹那の思い

3.11
5年。

今日は様々なメディアで5年前のことを語るだろう。
新聞、テレビ、インターネット。
メディアから個人まで。

前作「声はきこえているか」
前々作「セブンガールズ」
2つの作品には共通のテーマがあった。
それは「復興」だ。
災害復興と戦後復興の違いはあるけれど。
徹底的な破壊の後に立ち上がる。前に進む。
その進む一歩目の勇気を人間がどうやって立ち上げるのか。
きっとそういうことだ。

それが例え無力だと思えても、失敗したとしても。

日本は地震大国で、島国だ。
古来から何度となく破壊と直面してきた。
何度とない地震。
徹底的な大火事。

こんな話を知っているだろうか?
幕末期の大震災の話だ。
安政の大震災は、今でいう南海トラフで起きた。
関東から、遠く四国、に至るまで、南海に面した土地と言う土地が大規模な災害にあった。
今のように免震構造などがない、江戸末期だ。
その上、黒船が現れて、開国か鎖国かで日本中が揺れ、井伊大老による安政の大獄まであった。
政情不安に畳みかけるように起きた大災害だった。
今の三浦にいた、アメリカの公使は、しかし、別の事に衝撃を受けるのだ。
徹底的な破壊を生んだ震災のその次の日に。
日本人があっという間に村を復興していったのだという。
世にも恐ろしい大地震だというのに、あっという間に潰れた家を建て直し、道を整備したという。
この国の国民の勤勉さは他のアジア諸国よりも手ごわいと実感したそうだ。
破壊の数だけ、日本人は復興を重ねてきた。

喪ったものは余りにも大きい。
今日が家族の命日と言う人が何人いるだろう。
家族全員が亡くなって、誰も命日に祈る人がいない一家だってあるだろう。
自然が起こした大災害だとは言え、おいらごときにかける言葉などみつからない。
ただただご冥福をお祈りするほかはない。

おいらがよく覚えているのは、当時知り合いだった電気工事士たちの話だ。
幕末の話ではないけれど、震災の次の日には作業車に乗って、東北まで電気の復興に向かった。
少しでも早くインフラの復帰をしないといけない。
大きな使命感をもって東北に向かった。
福島の事があって、電気工事士たちは、石を投げられたらしい。
福島の事とは何の関係もないのに。
それでも、仮設住宅の夜に明かりが灯るように、殆ど休憩もなく、電気の復旧に当たった。
食事もロクにとれなかったらしい。そもそも食べ物がなかったから。
それを聞いて誇らしかった。
次の日には、自分のやるべきことが分かっている人がいる。
それだけで、とても、すごいことだって思った。

実は先日。
映画プロデューサーからある提案をされた。
それは、映画製作の前に、劇団内でディスカッションをしたらどうか?という提案だ。
この作品の良いところはどこなのか?
この作品で映画にするべきところはなんなのか?
おいらも、デビッドさんも、なるほど!と思わず口にした。
それがいつ、どのタイミングになるかはわからないけれど。
シナリオ完成後なのか、キャスティング後なのか、稽古に行き詰ったとある日なのか。
でも、絶対に必要だ。
空襲で破壊され、焼夷弾で焼かれ、戦地に男を取られ。
本当に何もかも失ったところから、一歩前に出る。
そこをきちんと、ディスカッション出来たらいいな。
現代を生きる人全てに届けられるような作品にするにはきっとそういうディスカッションも大事だ。

あれから5年か。

なんにも出来なかったなぁ。結局おいらは。
追悼する以外なんにも。
大したこと出来ないんだなぁ。おいらなんて。

願わくは、消費されるだけの娯楽でありたい。
歴史に残る名作である必要はない。
その時、笑顔になったり、ほんの少しだけ力が湧いて来ればそれでいい。
小さな小さな希望を持てたら、それだけで最高。
復興に立ち上がった江戸時代の人や電気工事士さんの力になれたらいい。

なんにも出来ないけど。
それだけは出来たなって。
後から思えればいい。

多分、そんな小さな思いが映画になる。

多分ね。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 02:23| Comment(0) | 映画製作への道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする