稽古をした。
映像を見越した稽古になる。
デビッドさんは台本を約10Pも書いてきた。
でも、これはただの10Pではない。
ぽろっとこぼした言葉をかろうじておいらの耳は拾った。
4回も書き直したんだょ・・・と。
つまり、デビッドさんは40Pも今週書いてきたことになる。
舞台だったら、もう半分まで書いたのと同じだ。
もちろん、舞台の時もシーンによって推敲を重ねることはある。
それに、既にある作品を映画シナリオに書き換えているということもある。
それにしたって、いつものペースで言えば、とてもたくさん書いたことになる。
そして、それぞれのシーンに、しっかりとイメージを持っている。
今回。
おいらは、一つどうしてもこうして欲しいという思いがある。
それは、デビッド・宮原に自由に好きなように映画を撮影して欲しいという事だ。
ただし、この「自由」は、ただの「自由」ではない。
例えば映画の常識とか、カメラアングルの常識とか、演出の常識とか。
本当に、なーーーーんにも気にしないで、好きなようにやって欲しいなって思ってる。
今や世界の巨匠と呼ばれる北野武監督がね。
初めて映画監督をした時に、そうだったらしい。
やっぱり、映画の世界で生きてきたスタッフの中で一人だけお笑いの世界の監督でしょ?
次はこう撮影する。って言っても、スタッフさんに、それはおかしい、ここを抑えるべき・・云々と。
やっぱり、色々と言われちゃったらしいの。
それも、ほぼ毎日、毎シーン。
でも武さんは、絵も描く人だしさ。ひょうきん族で、画角なんかも決めてたのもあったし。
いや、ここはこれでいいの!と、毎日、自分の意見を通したみたい。
それで、段々、スタッフさん達も納得していったらしいんですよ。
結果的に、武さんは世界の舞台で評価を高めていく。
結果を出したわけです。
今、世界で一番有名な日本人映画監督だもの。
おいらはね。
デビッド・宮原っていう人は、天才なんだぜって、わりと本気で思ってます。
ただデビッド・宮原は、人の意見を取り入れるし、おいらが思ってるほど自信を持ってないです。
常に自分は本当に本当の本物なのか?って常に自分に問いかけているような人です。
天才にありがちな独善的だったり、意思を押し通すだとかよりも、ずっと柔らかい天才です。
今いる劇団員はみんな知ってるんだよ。
天才なんだぜって。
この人が自分の感性で自由に撮影したら、絶対に世界に届くよって思ってます。
柔らかさも武器になるけれど、それでも、もっと自由にやってもらいたい。
本当は映画だけじゃなくて、漫画でも舞台でも、全部、本当の自由の中でやって欲しい。
例えば。
予算なんか、デビッドさんには気にして欲しくない。
こういうのを撮りたい!って言ったら、予算的に厳しくても、おいらが用意するよ。何とかするよ。
デビッドさんが空撮したいって言ったら、ヘリは用意出来なくても、ドローンの操作を覚えるよ。
あの木が邪魔だって言うなら、地主さんに土下座して伐採のお願いをするよ。
絶対に無理っていうことは出てくるかもしれないけれど。
それを計算してシナリオなんか書いて欲しくない。
どこまでも自由に、まず、自分がやりたいように書いてくれたらなって思う。
4回も書き直した台本にはたくさんのことを考えた跡が見え隠れしてる。
それはもちろん、映画の常識であったり、演出の常識も含まれていると思う。
色々なバランスを考えながら、完璧を目指している。
だから、不自然なところがほとんどないシナリオになってる。
隙がないし、どのシーンもなるほど!だし、映像化した時の絵が見える。
大丈夫かな?心配だな。
自由に自由に書けているかな?
変な気の使い方はしていないかな?
そんなことを考えながら、何度もこのシナリオを読もうと思う。
今日。
最後の方だけだけど、ついにカメラを回して稽古をした。
モニタに映る絵を観ながら、デビッドさんが芝居を決めていった。
まだキャスティング前な部分もあることにはあるけどさ。
自分も芝居をして、今までと違う身体感覚、違和感。そういうものをキャッチしていった。
作品全体の中で、自分がやるべき仕事は作品がわかってるんだから同じだ。
それでも、舞台版のキャラクターから、少しだけ、変わったなって思えるところがあった。
その説得力をみつけなくちゃだ。
稽古が終わっていつもより少人数で芝居の話をした。
誰も自分の事なんか話さない。
この作品の事ばかり喋る。
映画に出るという夢が現実になった時に。
浮かれちゃってる人もいると思う。
でも、今日の数人は何も浮かれていない。
やるべきこと、考えるべきこと。
坦々とそんな話をした。
こいつらは、足を引っ張るぐらいなら自分は出ないで良い!と言いかねない奴らだと思った。
もちろん、出てもらわなくちゃ困る。
足を引っ張るどころか、映画をよりよく出来る奴らだからだ。
今やれること。
稽古だけじゃない。
考えろ。
進め!
この世の中の誰よりも、デビッド・宮原の作品世界を深く理解しているのは、前方公演墳だ。