「白梅と紅梅が同時に咲く梅」 2016/3 小野寺
昨日のブログに書いたロケ先の候補となる第一の場所に、今、行ってきた。
小高い山の頂上付近の、住宅街と畑の隙間にそれはあった。
長い長い坂道を進む。
人気の少ない地域なのに、やけに渋滞している道を進むと、バス停があった。
交通の便が悪いと思っていたけれど、バス停から1分とかからない。
そこに、そのアトリエがあった。
そこに一歩踏み込む前から痺れていた。
外観は文句ない。
トタンで出来たバラック小屋と言われても、誰も否定しないと思う。
そして、思った以上に広い。
テニスコート一面分ぐらいの広さの建物だった。
いつでも見学ぐらいなら・・・とおっしゃっていたので、会う前に外観だけでもと思って観に行った。
ここは、もう空気が出来上がっている場所だ。
長い年月・・・(おいらの人生と同じぐらい)、美術家たちがここでアートに取り組んできた。
劇場にも似たあの、クリエイティブな空気が既に流れている。
うっそうとした木々が生えていて、カラスが二羽、警戒しているかのようにおいらの周りを飛ぶ。
近くにカラスの巣があるのは間違いない。ここは山だ。
共存できないなら、自然から跳ね返される場所だ。
芸術が、今日まで、自然と共存してきたことを知る。
グルリと建物の周りを巡る。
下に建材屋さん、その下に石工さん。
どちらも同じように、やはりトタンで出来た建物だ。
今日は休みらしく誰もいないので、どこまでが敷地かもわからないままぐるりと一周する。
もし、撮影が出来ることになったら、協力してくれたら。
このスペースも全て、戦後の焼野原になるだろうと思わせるに十分な景色。
ふと建物の裏手に入ってみると、その一段上にやはりトタンで出来た建物がある。
地図で言えば裏手にあたるのか・・・。
一旦、敷地を出て、山でいう処の一段上の集落に行ってみる。
とてもとても驚いた。
トタンで出来た長屋。大きめのトタンの建物、木造の建物、小さめの建物。
6棟ぐらいが集まる小さな、昭和30年代でも既に古いと思えるような無人集落があった。
建物の半分は既に、半壊している。
木造に至っては、骨組みが丸出しになっている。
たくさんのツタが絡みあい、烏瓜がぶら下がっている。
明らかに人が住んでいる様子がないけれど、こんな所がまだ東京都内にあるなんて。
きっと、誰も知らない場所だ。
子供の頃にここをみつけたら、間違いなく秘密基地にしている。
ここは一体、誰の持ち物なんだろう?
気になって、すぐ近くの農家を訪ねてみた。
丁度軽自動車のエンジンを温めているご老人がいた。
かなりのご高齢で話をしてみると。
そこは、かつて、ご自身が鶏舎として使っていて、その後、人にあげちゃったという。
今は全員いなくなって、返してもらったから、ごちゃごちゃにうっちゃってるんだ。という。
農具や何かをたくさんそこに置いているらしい。
この辺は保護地区に指定されちゃったから、それこそ、終戦の頃からあんま変わんないよ。
そんなことを言う。
もし、映画で撮影させていただくとしたら、貸していただけますか?と確認すると。
とてもとても恥ずかしそうに、そういうのはやったことねぇよぉ。と言う。
今日のところは畑に向かう直前だし、そうですか・・・と帰る。
とても笑顔の優しいおじいちゃんだった。
もし、デビッドさんや、美術監督の要請が上がれば、ここも候補になる。
そうなったら、この集落からアトリエまで、全て終戦直後の化粧をすることになるのか・・・
余り規模が大きいとその分、予算も膨らんでしまうから、そこまでにはならない気もするけれど。
真奈の覗くような水たまりまであって、どうしても、頭の中でそこにパンパンを立たせているイメージが消えなかった。
おじいちゃんが軽自動車で畑に向かった後、集落までの道。
梅が満開に咲いていた。
さっきから、鼻をくすぐる酸い香りは、梅だ。
紅梅、白梅、そして桃。
ここは梅の里だ。
山から周りを見渡せば、そこかしこに、梅が咲いていた。
満開の梅の中。
おいらは立ち尽くしていた。
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