2016年03月19日

見上げる空は同じ

ロケ地候補を探している最中に、色々なところにふらりと覗きに行ったり、検索している中で。
画像検索に、ああ、ここはいい!と思う場所があった。
ボロボロの長屋、戦後バラックのような見た目。
すぐに、そのサイトに飛んでみたら、それは、タイだった。
BLOGに掲載されたタイだ。

実は、そういうことがよくある。
タイや東南アジア・・・あとはオリンピックやワールドカップ開催が決まって、区画整理している国。
ブラジルや、北京なんかの、いわゆるスラムと呼ばれる地域の写真が掲載してある。
日本には少なくなっているスラム街、貧民窟は、世界にはまだまだある。
シンプルな海外旅行ツアーのプランには絶対に入っていない。
小犯罪も含めた犯罪の巣窟になっているからだ。

もちろん、日本にスラムがないとは言わない。
余り報道もされないけれど、実際にはある。
今またどんどん消えていっているけれど、あることにはある。
不法占拠だとか、朝鮮部落だとか、聞いたことがある人もいると思う。
それでも、世界中の国々に比べたら、スラムはとても少ない国だ。
新宿の思い出横丁で、深夜まで海外の旅行客が焼き鳥をつまむなんて。
他の国で考えたら、ちょっと信じられないような安全性なのだ。
ニューヨークにだってスラム街があってツアー客が入ってはいけない地区があるのだ。

日本で育ったおいらたちには、なんのことない普通の事のようにも思える。
でも、そうじゃない。
日本が異常だ。
スラムがほとんど存在しない国なんて、異常の事だ。

かつて東京が焼け野原だったとき、一面のバラック街だったことなんか想像も出来ない。

なんていうか。
もちろん、理由はやまほどある。
狭い国土という事もあるだろうし、貿易立国であるとか。
歴史で見ても、朝鮮戦争であるとか、田中角栄であるとか。
様々な要因が、この国を豊かにしていって、スラムを消していった。

おいらが思うのは、世界のレベルで、映画を製作したいんだということだ。
世界にはスラムが今もある。
世界にとっては、今の物語になるのかもしれない。
スラムの現状にリアリティがなければ、世界では通用しない。
でも逆を言えば、日本人よりもより強く響くのかもしれない。
そして、日本がスラムを脱していった理由をこの映画の中に探すかもしれない。
日本で映画を製作すればどうしても、国内の興行について考えなくてはいけない。
どうしたらヒット映画を創れるのかという要素が大事になってくる。
それがキャスティングからシナリオから、全てに影響を与えていく。
けれどこの映画は、日本での興業を考えないで製作できる。
だからその代わり、世界の視点をきちんと考えたいって思う。

スラムからは抜け出せない。

今まで映画で何度そのセリフを耳にしただろう。
海外の映画でスラム出身者が出てくれば、必ずと言う程、口にするセリフだ。
そして、やっぱり夢を見て。
そして、やっぱり前に進む。

今の日本にスラムはほぼない。
けれど、実際にはスラムに見えないだけで、それに近いスラムがある。
抜け出せない現状。心のスラム。
何が貧しくて何が豊かなのかはわからないけれど。
あの焼野原に山ほどいた浮浪児たちが、汗を流して、スラムから抜け出した日々は豊かだったのかもしれないなと思う。
たくさん無理もしただろうけれど。そのシワ寄せみたいなものが今たくさん残っているけれど。
スラム街だけじゃなくて、もっともっと心も豊かで、誰もが自由な世の中を目指していたんだと思う。

中野区で起きた殺人を「劇団員殺害」と報道する大手新聞、大手マスコミ。
なんで「女優殺人」じゃないんだろう?
もしくは、個人名でも中野区殺人事件でもいいと思う。
彼らの目で見ると「劇団員」っていうのは、役者ではないんだね。
役者ではなく「劇団員」っていう生き物。もしくは一つのカテゴリ。
まったく、なんにもわかっていない。やれやれだ。
恐らく彼らの頭の中で劇団員とは、芸能の世界のスラムなんだろうなぁ。
だから、この映画は、芸能の世界のスラムから抜け出す劇団員の話でもあるのかな?
おいらは、全然、逆のことを思っているんだけどね。


地球の裏側の人は何をこの作品で観るのかな?
狭い狭い日本の常識ではなくて、その視点をどうしても考えてしまう。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 20:23| Comment(0) | 映画製作への道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月18日

もう一つの物語

クラウドファンディングを達成して驚いたことがある。
それは、クラウドファンディングでの達成までの道程を思った以上の方たちが楽しんでくださった事だ。

多くのご支援していただいた皆様が、達成するかな?大丈夫かな?と気にかけてくださっていた。
それはよく知っていたのだけれど。
最後の2日での大逆転劇に、ものすごくたくさんの皆様が喜んでくださったことには驚いたのだ。
中には、感動した!とか、今すぐ飲みに行こう!とか、色々な連絡が来て・・・。
さぁ、これからが大変だぞ!と思っていたおいらよりも、ずっと喜んでくださって。
本当にたくさんの祝福のお声を頂いたのです。

本当にご支援してくださった皆様が喜んでくださるタイミングは、きっと、映画完成後だと思ってました。
いや、もちろん、完成後に、大きな大きな達成感を共にしていただけるように。
このBLOGも、UPDATEも頑張るつもりです。
UPDATEは、現実的な決定事項が出たらすぐにUPしていくので、お楽しみにしていてください。
共に歩んでいる。共に映画製作に参加している。
そういう実感をご支援してくださった方々にはしていただけたらなぁって思っているのです。
様々なことが起きる中で、完成して皆様に観ていただく日。
大きな大きな達成感を共有できるだろう。
そう思っています。

でも。
クラウドファンディングの達成のタイミングでも。
本当に大きな大きな達成感を感じて頂けたようなのです。
本当に、皆で、全員で盛り上げて、全員で達成した。そういう感じでした。

それって一体なんなのだろう?
終わった頃は感謝の思いや、これからへの思いで溢れすぎていたので。
今になって冷静に考えています。

もし、物語なのだとすれば。
これ以上にわかりやすいサクセスストーリーはないかと思います。
なにしろ、目の前に数字があって、その数字の達成なのですから。
そのサクセスは、日々の数字と、日々の劇団員たちの呼びかけと。
それだけで、サクセスになり、ストーリーになっていたと思います。
そして、もし物語なら出来すぎだろ!と言われてしまいかねない、大逆転。
これ以上ない進み方をしました。

でも、それだけではないのかもしれないと最近は思っているのです。
小劇場で舞台をやり続けている劇団が映画を創って、世界の映画祭に出す。
言葉にしてしまえばたったこれだけの事です。
思いついた人は今までも何人もいたはずですが、それを本気でやる!というのは稀だと思います。
キャストを変更して・・・とか、舞台を撮影して・・・とか、自主映画で・・・というのはあります。
でも、ちゃんと劇場用のシネスコープサイズの映画を製作するとなると、記憶にはありません。
こんな話をすると、出来ないだろ、それは・・・という声が圧倒的だったと思うのです。
その「出来ない」をひっくり返したのが、それを応援してくれる多くの皆様の力だった。
このシチュエーションこそ、達成感の大きな要因の一つだったと思ったのです。

「出来ない」を「出来なくない」にする。

考えてみれば、そんなことは世の中に山ほどあると思うのです。
ああ、出来ないなぁ、やれないなぁ・・・そういうことが日常には溢れかえっています。
場合によっては無意識に、出来ないと諦めていることだってあるはずです。
いや、むしろ、意識的に自分から諦めることの方が実は少なくて。
生きていくというのは、毎日、様々な小さなことに諦めていくことでもあるのかもしれないと思うのです。
朝、起きるだけでも。
起きたくない。でも、仕方ないから起きる。寝続けるわけにはいかない。
そんなことがたくさんたくさん積み重なっているのではないでしょうか?

もちろん、「出来なくない」から「やる」にシフトするのには体力が必要です。
実際に行動するとなれば、簡単にはいかない。
それでも、「出来ない」という固定観念を打ち壊す瞬発力は、簡単には持てないです。
「出来ない」ことを、ちょっとやってみようぜと、一歩踏み出すこと。
そこには使い古された言葉で言えば「勇気」が必要なのだと思います。
実際には必死だっただけなのですけれど・・・。
達成を信じて、毎日頑張った、それだけなのですけれど・・・。
図らずもこのクラウドファンディングは、「セブンガールズ」ではなく、それ自体を物語としていたのです。
風車に立ち向かうドン・キホーテのような滑稽な姿だったはずです。
実際に達成を信じていたのは、おいら以外に、何人もいなかったんですから・・・。
「セブンガールズ」を応援してくださった皆様と同時に。
この「挑戦」という物語に、ご支援してくださった方々がいたという事です。


「出来ない」と思えたような企画を「出来なくない」に変えた今。
おいらは思うのです。
もっともっと「出来ない」と思えるようなことがあるんじゃないか?って。
例えば、今、現時点でデビッドさんを含めた誰一人として、この映画の大ヒットなんて夢想もしていません。
どのぐらいの映画館で上映できるかなぁ・・・と思っている人がほとんどです。
大ヒットなんか出来るわけないだろ!
そう言われるに決まっています。
確かにそうかもしれない。
でも、おいらは、知ってしまいました。
「出来ない」ことなんて、なんにもないんだぜって。
全てが上手くいけば、絶対に無理なわけじゃないんだぜって。

だから「セブンガールズ」という物語を伝えるだけではなくて。
この「挑戦」という物語は完結させないで、続けていかなくちゃな。

心からそう思うのです。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 03:08| Comment(0) | 映画製作への道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月17日

消える境界線

「赤線」と言う言葉を知っているだろうか?
所謂、国が定めた娼婦街を地図に赤い線で囲っていたからそう呼ばれるようになった地帯だ。
国が定めていない娼婦街は青い線で囲まれ、青線と呼ばれた。
赤線と言う言葉が実際に広まったのは実は、30年代以降だそうだ。
小説や映画のタイトルになって、初めてメジャーな言葉になった。
それまでは、警察内部などの言葉だった。
特殊飲食店街。
それが、戦後の娼婦街につけられた名称だ。

今日、用事で大久保近辺まで行った。
帰り、一緒だった皆と別れて、あえて新宿まで歩いた。
旧赤線や旧青線の街を。
もう戦後71年物月日が経つ。
名残など何も残っていないと思うかもしれない。
けれど、終戦後の赤線の写真を見た後のおいらには、そこかしこに名残を見つけた。

今は、BARの看板を出していても、ふと、隣接している建物の間に視点を移したら、レンガ塀だったりする。
良く見たら、トタンのひさしが裏口に設置されている店もある。
大久保から百人町、歌舞伎町と歩くと、ああ、ここも・・・ここもそうだったんだ・・・と次々に見つかる。
新宿には今にもたくさんの終戦直後の風景が残っている。
小便横丁は、親父がラーメンをよく食べた飲み屋街だ。
一回だけ連れていかれたことを覚えている。
今は、思い出横丁なんて洒落た呼び方をされている。
火事になったけれど、今もやっぱり残っていて、それどころか今は観光地になっている。
くぐってみたら、3分の1ぐらいは、海外からの旅行客が軒先で焼き鳥をつまんでいた。
さすがに帰り道から遠く、足は延ばせなかったけれど、花園神社の裏にはゴールデン街も残っている。
店と店の間の小道に入れば、そこが終戦から変わっていないことがすぐにわかる。
ゴールデン街は演劇人たちが今も飲む街だ。

新宿二丁目は青線だった。
帰還兵が占領兵に体を売ったことが今の二丁目の始まりだ。
元々の男色家もいただろうけれど、食うために体を売った帰還兵もいただろう。
それを思うだけで、背筋を冷たい何かが流れていく。

今は、飲み屋であったり、小料理屋であったり。ラーメン屋や焼肉屋になってる。
ここで体を売っていたとは思えないような内装になっている。
建物の外観も、何度もリフォームされて、看板を変えている。
裏口や、小道からの外観を観ないと、戦後の匂いは感じない場合もある。
けれど、その建物の大きさと、密集具合が、元々どのように店が並んでいたかをすぐに想起させた。
歌舞伎町浄化作戦は、確実に、その匂いを消していたけれど、目を凝らせばやはり日本最大の歓楽街だ。

酔っぱらいの間をすり抜けながら。
おいらはいつの間にか国民服を着ている。
軍足を履いて、軍靴を履いている。
ずた袋を背負って、そのごみごみとした活気ある闇市を歩いている。
食べる物はないか?
どこか金になる話はないか?
そんなことを考えながら、バラック街を歩いている。
走り抜けるGHQのジープを睨んでいる。

まだまだガキだった頃。
新宿や池袋で飲んだ。
何も知らずに飲んだ。
そこが歓楽街になった理由など何も知らなかった。
若者が次はカラオケに行こうぜ!と言えるのが何故か。
そんなことに考えが及ぶことなんてなかった。
今、新宿の街が違った街に見える。

今年は閏年。4年に一度の年だ。
ブラジルのリオデジャネイロで夏のオリンピックが開かれる。
そしてその4年後の次の閏年。2020年。
この東京でオリンピックが開催される。
終戦が1945年。
初めての東京オリンピックが1964年。
19年の歳月をかけて、日本はオリンピックを開催できるまで立ち直った。
オリンピックに向けて、たくさんの道が整備されて、区画整理が入って、日本はリニューアルされた。
それから50年以上の月日をかけているのに。
どうしても、赤線の匂いが完全には消えない。
そして、4年後に向けて、もう一度東京はリニューアルをしている。
まだ残っていたバラック小屋も次々に潰されている。浄化作戦も続いてる。
ほんの数年前にあった建物が、見に行ってもなくなっている。

それでいい。

それでいいのだ。
いずれ消えてなくなってしまえばいい。
街は生まれ変わり続ければいい。
ロケ先がみつからないことは、きちんと、日本が前に進んできた証拠だ。
映画や演劇や写真や絵画や。
文化がその名残を伝えていくだけでいいのだ。
現実の生活空間は変わり続けていくことこそが正しい。
少し寂しい。
寂しいけれど、正しい。

初めての東京オリンピックや、大阪万博を誘致した日本人の中に、アイツがいたんじゃないかなって気がする。
アイツは、誰も想像できないようなことを当たり前のようにやっちゃうヤツだからだ。
ドヤ街を闇市を、前に前に歩いたやつだからだ。
アイツの知り合いには、政治家も、アメリカに留学したビジネスマンも米兵までいたからな。
ありえない話じゃないさ。

これからの4年でまた東京は大きく変わる。
どんどん変わればいいさ。
変わっちゃいけないことだけ、しっかりと、自分の中に持っていれば。

赤い線は消された。
青い線は消された。
地図も変わった。

それはきっとそれを望んだ人がいたからだ。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 02:34| Comment(0) | 映画製作への道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする