2016年03月25日

デジタルマーケティング

実はとある知り合いにとても褒められた。
今回のクラウドファンディングの展開は企業体の宣伝では出来ない方法だったという。
クラウドファンディング公開前からBLOGを中心にFacebook、Twitterを年齢層に分けて宣伝活動した。
地道ではあるけれど、劇団を応援してくれる方々という母数から確実に数を増やしていく。
そして、更新を欠かさないという最も原始的だけど効果的な方法だったという。
広い世界に繋がった場所で、ある一定の顧客層を大事にする。
その方法を企業がとると、アングルが変わってしまうのだという。
いわゆるステルスマーケティングと呼ばれるような宣伝の更に裏側なんだと。
堂々と、こうしたい!と個人が発言していく方法は、とても良かったと褒めてくれたのだ。

おいらからすれば、他の方法は余りなかっただけなのだけれど。
それに今思えば、反省点もいっぱいあるからさ。

広告はどんどん新しい世界に突入している。
劇団の宣伝は、WEBであったりメールマガジンであったり、DM、折り込み広告であったりした。
今は、SNSでの拡散の方がより効果的になってきた。
時代は更に進み、動画配信であったり、LIVE配信であったり。
ここ10年でものすごく変わったなぁと思う。
演劇界はどちらかというと、時代遅れで、若い人の劇団が新しいことを少しやるけれど、どこまで効果的かはわからない。
旧来からの演劇ファンは、やはり置きチラシを頼りにしている人もいる。
今、演劇に興味がないような観客層を呼び込むには、もっと新しくて抜本的な宣伝が必要だと思う。

実際、かつてはテレビCMが流れたら、それはメジャーという感じだったけれど。
今は、いつの間にか口コミで話題になって、それを後からテレビ番組が取り上げる。
状況的に逆転しちゃってるなぁって、本当に思う。
行列の出来る●●なんていうのも、ネットの口コミがスタートだったりする。
企業はその、口コミが自然発生的に起きれば一番ベストなわけで、話題作りからネットニュースになるような。
そんな企画を立てて、宣伝をプロジェクトとして立ち上げていく。
当然、デジタルマーケティングのコンサルタントなんかの仕事も出来ていく。
商品の宣伝のプロデューサーだって、今はいるはずだ。
規模の違いこそあれ、そういう世界にいる知り合いが、良くやったよ!と言ってくれれば、なんというか嬉しかった。

恐らく、映像の世界は、これから、よりデジタルマーケティングが必要になってくる。
それは、演劇の世界なんかよりもずっとずっとだ。
何故ならば、既に日本はインフラが整備されたからだ。
フルHDの映像を気軽にストリーミングで、無線端末で鑑賞できる時代がやってきた。
こんなこと、ほんの5年前だったら、想像すらできなかったことだ。
まぁ、想像していた人がいるからこそ、実現しているのだけれど。
huluでも、gyaoでも、NetfilixでもamazonでもGoogleムービーでも。
或いはケーブルテレビでもスカパーでも。
ますます映像コンテンツが身近になっていくのは間違いがない。
むしろ企業体は映像によるマーケティングについて、本気で取り組み始めている。
場合によっては、テレビ番組よりも、数多く再生されることも可能だからだ。
テレビCMにかかる経費でオリジナル映像を製作した方が宣伝効果が上がる場合が出てくるという事だ。
そうなれば今度は、いかにその映像を面白いと観てもらうかという段階に入っていく。
ネット上で、あの映画が面白かったと話題になればワンクリックで観れる。
そういうデジタル上での宣伝やマーケティングが必要になっていくという事だ。

もちろん、映画は映画館で観るのが一番面白い。
ワンクリックでスマホのような小さい画面で観られても困るというクリエイターはたくさんいる。
でも、時代の流れだからこればかりは仕方がない。
むしろ今は、デジタル上で鑑賞して、その後にあえて実物を購入するという逆転現象も起きている。
デジタルイラストのファンになって、結果的にグッズをたくさん買ってしまうというようなことだ。
電子ペーパーで漫画や小説を読んで、本も手に入れてしまうというようなことだ。

まだまだ先の話になるけれど。
映画を実際に製作すれば、その後、公開という事になる。
上映館を探すところからやらなくちゃいけないわけで、まだまだ道は長いなぁと思う。
そして、公開したらしたで、映画の宣伝をしていかなくちゃいけない。
でも多分、映画が出来上がってから、宣伝方法を考えているようではダメだ。
企画段階から、撮影段階から、編集まで。
その間に少しずつ積み上げるような宣伝が必要だと思う。
公開される頃には、上映したいという映画館が増えていたり、観たいというお客様すでにいたり。
そうなるように、考えていくべきだと思う。
もちろん、演劇と違って、公開前に試写会があるし、演劇祭への出展だってできる。
口コミが広がる道は、演劇の数百倍もあるなぁって本当に思う。
だからと言って、従来の映画と同じようにただ完成を待って試写会をするだけじゃダメなはずだ。
資金力のある映画や、映画会社が創る映画、ネームバリューのある映画。
そういう映画たちの隙間でどのように、上映していくのか。
企業が出来ない、個人のマーケティングが他にはないのか。
考えられることはすべてやるべきだと思う。
そこまでやって、初めて、何かが起きるんだっておいらは思っている。

おいら一人で出来ることなんかきっと大したことはないんだけれども。
支援してくださった皆様への恩返しは、たぶん、映画の完成だけじゃない。
もっともっとすごいことが起きないといけないって思っている。

だからこそ、0から始まったこの企画が動き始めただけでも奇跡だけれど。
動くだけじゃないんだって、そう思えるような。
そんな展開を今から、考えるのだ。

考えろ、おいら!!
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 03:08| Comment(0) | 映画製作への道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月24日

面白い映画

十代の終わり頃に、おいらはとにかくなんでもいいから観ないとダメだ病にかかった。
ショービジネスだったらどんなものでも見ようという状態で、それこそなんでもかんでも観に行った。
寄席から、伝統芸能から、舞台だけじゃなくて、もうありとあらゆるものを観た。
安くチケットが手に入ったり、招待券を手にしたら、即行くようにしていた。

そんな時に手に入れたのが「男はつらいよ」の映画の招待券だった。
そういえば、テレビでは何度も観ていたけれど、映画館で観た記憶がなかった。
その頃はまだ、毎年正月に男はつらいよを上映していた。
もっと前は、年に2本だったと思う。
正月は、釣りバカ日誌と同時上映になってた。
なんとなく、テレビで見るドラマみたいな感覚だった。
よし、映画館に行こう。そう思った。

そしたら、ちょっとしたカルチャーショックを受けたんだよ。
色々なショービジネスを見続けている中でさ。
やっぱり、お笑いライブや寄席を別とすれば、全て、アートな雰囲気が流れていた。
当然、映画館は静かに観る場所だったし、他の人に迷惑を掛けてはいけないと思っていた。
それがね。
隣に座ったおばちゃんが、普通にうるさいんだよ。
お菓子とか食べながら。
でね、爆笑するの。
寅さんのコミカルな動きやら、周りを怒らせちゃったりやらで、いちいち。
え?映画ってこんなに爆笑していいんだっけ?って思ってたらさ。
ついに、おいらの太ももを叩きながら笑ったんだよ。

もうねぇ。
茫然自失だった。
完全においら、やられちゃったんだな。
もうまったく知らない世界だったんだよ。
旅回りの一座芝居なんかで、そういう場面を観た気がするけれど。
こんなふうに、あっけらかんと、映画を楽しむ文化があるって知らなかったからさ。

そしたらさ。
静かにしなくちゃいけない映画とかね。
芸術的な映画とかね。
すっごい、色あせちゃったんだよ。その後しばらく。
本当に楽しんでるのかな、このお客様たちは・・・って疑問を持っちゃって。
本当は、かっこいいとか、綺麗とか、人の評判に乗ってるだけなんじゃないの?とか思ったりしてさ。
もちろん、そんなわけがないんだよ。
そういう映画にはそういうファンが当然いるんだから。
だから、そう思っちゃうほどのカルチャーショックを受けたんだなぁ。
映画は静かに観るものだっていう固定観念を破壊されたんだ。

それからはもう最終作まで全部観たよ。
おいらの中で、車寅次郎が、大きな意味を持つようになった。
その一挙手一投足の真似をしたりした。

お彼岸に実家に帰ったらさ。
お袋が「家族はつらいよ」を観に行ったんだって。
そしたらね。
大爆笑だったらしい。会場中が。
ここ最近、山田洋次監督は、感動作ばっかだったからさ。
その話を聞いて、ああ、やっぱりコメディを創る腕は今もすげえんだなぁって感動しちゃったよ。


だからね。
おいらが芝居すると、実は少しだけ寅次郎がいるんだ。今も。
舞台の成瀬で、御守をぶら下げてたのも、実は寅次郎フューチャーだよ。
江戸弁を口にする役の時は、どうしても寅次郎の声で頭の中で再生されるんだよ。
あの不器用なフーテンの背中がどうしても、思い出されちゃうんだな。


奥深いなぁって思う。
静かに観るのも映画なら、ああやって、爆笑を共有するのも映画。
おいら、男はつらいよと釣りバカ日誌以上の笑い声を映画館でまだ聞いたことないよ。
映画監督を目指すような人は殆どが芸術方向なのかな?
若くて、コメディをやりたい監督なんて、あんまりいないのかな?

ついでに言えば。
太ももをひっぱたかれて。
隣で爆笑してたおばちゃん。
最後には切ない寅次郎の背中に号泣してた。
その時ね。
今までテレビでは一回もなかったのに。
おいらも、泣いてたんだ。
切なくて切なくて。
もう、どうしょうもなくなって、おばちゃんと一緒に泣いてたんだ。

映画はテレビとは違う。
一つの空間で、たくさんの人が時間を共有する。
舞台と同じだ。
共有が共感になった時。
絶対にテレビではわからなかった何かが現れるんだ。
渥美清さんは、舞台に立ってた人だ。
だから、それをちゃんとわかってたんだなぁって今更ながらに思う。


家族はつらいよのインタビューで言ってた。
最近は、静かに映画を観すぎだよって、山田洋次監督が。
すごいねぇ。すごいねぇ。
二代目寅次郎やらせてくんねぇかなぁ。
思う存分、怒られたいよ。あんな監督に。


男というもの つらいもの
顔で笑って 顔で笑って 腹で泣く 腹で泣く


くぅ。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 02:35| Comment(0) | 映画製作への道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月23日

舗装をはがすようなこと。

ロケ地はもちろん候補1の場所だけじゃなくて、他も探している。
ただ足を伸ばせる距離にはなかなか見つからない。
ロケーションサービスと言って、各地方自治体が映画撮影の誘致活動をしている。
遠すぎることがなければ、ロケーションサービスのロケ地一覧は見るようにしている。
もちろん、地方に行けば行くほど交通費や宿泊費がかさむため、中々上位にはいかない。
予算割が確定すれば、まだ色々と計算が立つのだけれど。

写真を確認する時に最初に見るのが舗装だ。
都心部だけではなく、今は本当にどこも舗装されている。
もちろん、終戦直後に舗装されていた場所がなかったわけではない。
いくら焼野原だと言っても、舗装されたアスファルトまで焼けるわけではない。
それでも終戦直後の写真を見ると、ほとんど舗装された道が写っていない。
占領軍基地回りと主要幹線道路ぐらいしかなかったんじゃないだろうか。
それに、真奈ちゃんが水たまりを覗く以上、やはり舗装されていると芝居が限られてしまう。

それにしても、驚くべきことだな。これは。
実際、自分が子供の頃を思い出すと、舗装されていない道なんか山ほどあった。
轍が道をボコボコにしてさ。
そこらじゅうに水たまりがあった。
真冬に氷が張るあの水たまりだ。
初夏にはどこからやってきたのかわからないけれど、アメンボがいた。
早春にはあちこちにたんぽぽが咲いていたり、ツクシンボが顔を出してた。
今の時期なら、ぺんぺん草を引っこ抜いて、ペンペンしながら家に帰った。
あの道はどこに行ったんだろう?

子供の頃に歩いた土の道をGoogleマップで確認してみたら。
当たり前のように舗装されてたよ。
それも、車が通れないような細い道まで舗装されていた。
あの幼稚園に向かう途中の小道も。銭湯の前も。用水沿いも。
四葉のクローバーもみつけられないじゃないか。あれじゃ。
立ち小便も出来ないよ。
粘土みたいな土だった。
雨を含んだ次の日は、ねばりのある土だった。
遊んだ原っぱさえ、舗装されたパーキングになってた。

今のアスファルトは昔の物から実は大きく大きく進化している。
轍がすり減らすことも少なくなったし、水はけまで良くなってる。
直線とカーブでは材料を変えている場合だってある。
工事中の場合は仮舗装で、スコップで掘れるような柔らかい舗装だってある。

雨が降った次の日のあのむせるような雨の匂い。
どうりで最近は薄くなっていたわけだ。
雪が解け始めると、雪と土が混ざって、ぐちゃぐちゃになってさあ。
本当に歩きづらかった。
生活がどんどん便利になってる。気付かないうちに。
暮らしやすくなってる。
発展してるんだ。
道路は国道以外は自治体の管理。
都内だけじゃなくて、地方もどんどん舗装が進んでいたんだなぁ。

個人宅の庭や、公園を除けば、ほとんどの土地に蓋をしたわけだ。
それはあの不便なぐちゃぐちゃの水たまりや、むせるような匂いや、たんぽぽの綿帽子に至るまで。
上から蓋をして隠したんだな。
日本はきっと気取ったんだよ。
本当は大昔からの島国でさ、土いじりしながら生きてきたんだけどさ。
先進国だ!アジアで一番だ!ってさ。
まるで、お化粧をするように、どんどん舗装したんだ。
おかげで外国人旅行者は、綺麗な国だって言ってくれるよ。
海を埋め立てて、コンクリートとアスファルトで、もう一度、この国を創ったんだ。



でも、何故だろう?
あのたんぽぽの花が恋しいのは。
あの水たまりが懐かしいのは。
土の匂いを思い出してしまうのは。

皆、自分を知ってる。
自分の理性と言う皮を一枚剥いだらどんな人間かわかってる。
本当は汚いところがあるところ。
どうしても治らない悪癖があるところ。
どうにも出来ない欲望や、どうしょうもないダメなところ。
本当言うと、バカだってわかってるところ。
自分だけがダメな人間なんじゃないかって不安になったりもする。
知っているから、時々、覗いてみたくなる。
誰かの本音や本質を知ってみたくなる。
自分だけじゃないんだって、確認したくなる。
政治家や、芸能人を吊し上げて、安心する。
取り繕った綺麗な顔を見ているだけじゃ、どうしても、不安になるから。
感情がむき出しになってしまうような場面を、物語で確認する。
エンターテイメントを体感して、自分の感情を揺さぶってみる。

個人でさえそうなのに。
国と言う単位で、都市と言う単位で、それが起きた。
明治の文明開化から、富国強兵を目指して、列車を走らせて、西洋館を建てまくった。
極東アジアに、世界標準の都市を建設していった。
それが大空襲で全て、引きはがされた。
焼夷弾に焼かれて、ただの土塊の街が、顔を出した。
でも、そうなったときに、本当にエネルギッシュに都市が動き始めた。
あっという間に廃材でバラックを建てて、闇市マーケットを創って。
ないはずの物を、田舎でもどこでもでかけて仕入れて売り飛ばした。
日本人の持つ本質みたいなものが一気に噴き出したのが、戦後というのは皮肉なんだろうか。

今、また日本は舗装されている。着飾っている。
大空襲はごめんだけれど、人はこの国の本質を求めている。知りたがっている。
かっこいいのが最優先みたいな世の中に、少しだけ辟易している。
「本当」を求めてる。

おいらたちがやることは舗装をはがすことだ。
取り繕っている何かをはがして、人間の瞬間を見せることだ。
何もなくなった街に、人間の本能がうずまく、パンパン宿を再現することだ。
かっこよさなんか、いらない。
かっこ悪さを見せられるすごさがあればいい。


そこにあるのは、ぐちゃぐちゃになった、粘土層の土塊かもしれない。
けれどどこかにきっと、

たんぽぽが咲いている。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 02:30| Comment(0) | 映画製作への道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする