実は、お客様からセブンガールズは良くメッセージ性について言われる。
今年は終戦70年ということもあったからか、とても多かった。
実は演じている側はそのメッセージ性について、余り強く意識していない。
作家的な仕掛けはもちろん随所にあるのだけれど、演じ手にはよくわからない。
なぜなら演じる側は、今日食べる食事すらない切迫した生き方をなぞるからだ。
この作品のメッセージよりも、この作品の中でどう生きるかが強くなっていく。
メッセージ性を意識する暇がないと言ってもいい。
例えば、女性運動家の松前薫という役がある。
そのシーンはコメディで、面白おかしく書かれている。
演じ手は、いかにもっと面白くなるかばかり考えている。
けれども、そのセリフをよく読むと違った見方も出来る。
「こんな屈辱的な仕事をする必要はないのです」
そういう視点が、実はセブンガールズには全体的に流れていて、お客様にはよくそれが見えるようにできている。
終戦直後…いや、敗戦直後と言った方が正確かもしれない。
男たちは戦地に取られ、生き残ったのは、女子供と年寄りばかり。
明日どころか、今日食べるものさえままならない。
戦中にあった配給も滞っている。
そんな中、生まれたのが、パンパンと蔑まれた街娼たちだった。
なぜ、娼婦ではなく街娼と書くのかと言えば、娼婦ともまた違っていたからだ。
戦前から娼婦という存在は当然あった。
パンパンたちは戦前からの娼婦ではなく、普通の主婦や戦災孤児、戦災未亡人が街娼をやっていたからだ。
だから職業娼婦からは、白い目で見られていたという。
初演などには、高級娼婦という存在も舞台に登場していたのはそういう部分の表現だった。
パンパンは、夫や家族の命を奪った占領軍の兵士に体を売って糊口をしのいだ。
パンパンが終戦直後に稼いだ外貨は、終戦直後の国家予算を上回るという説だってある。
口を塞いだだけで、実際には20万人以上もいたという説もあるそうだ。
日本の現代を顧みるのであれば、知っておくべきことだと思う。
反戦映画はこの世の中に山ほどある。
その殆どが、男たちの物語ではないだろうか?
戦地の酷さ、帰国できない辛さ、傷痍軍人。社会主義者。
女性の視点の反戦映画もあるけれど、主人を待つ女房や母…などの視点が多いと思う。
そのどれとも違うテーマがここにある。
とにかく、今日一日を生きる。
戦死詔書が届いたのは、戦争が終わって一か月も経ってからよ。バカみたい。
明るく道江が弟の戦死について話す場面がある。
これが、この作品の持つテーマだと思う。
それは、ただ「反戦」ということではない。
ボロボロに痛めつけられた中での「強さ」こそがテーマだったということだ。
きっと、お客様には、そういう部分が強く残ったのだと思った。
もし、海外でこの作品を発表する機会が本当に来たらどんな反応をするだろう?
日本を平和な国にすると占領していたGHQが女たちを買っていたと知っているだろうか。
海外の映画は、メッセージ性やテーマを非常に重要視する。
強いメッセージには、強い反応が返ってくる。
この作品を映画にすることは強い意味がある。
そう思っている。
もちろん、演じ手はそこまでテーマを意識しない。
ただただ、演じながら強く生きようと願うだけだ。
結果的にそれが、作品のテーマに繋がるだけだ。
そのテーマは。
人間の強さであるならば。
万国共通だと思っている。
世界に通じると信じている。