2015年11月05日

はじめの一歩

アルゴ・プロジェクトというのをご存じだろうか?
もう20年以上も前、単館上映館なんてなかった時代。
何人かの映画プロデューサーが集まって組んだプロジェクトだ。
当時、どこの映画会社に属するわけでもなく、自ら映画館を新宿と大阪に持って。
新進気鋭の監督たちが、自由に、撮りたい作品を発表していった。

おいらは、その新宿のシネマアルゴによく映画を観に行った。
なんとなく、そこが好きだった。
他の上映館とは違った作品がそこでは上映されていた。
ノーライフキングや、櫻の園、ナンミン・ロード、ザ・中学教師…etc
思い出せば、やっぱ名作ばっかだったなぁとつくづく思う。
ちなみに、「渋滞」という映画はおいら個人の邦画の中でも1位の作品だ。
一人で映画館でボロボロ泣いたのをよく覚えている。

「12人の優しい日本人」もその劇場で観た。
岸田戯曲賞をとった作品であり、当時人気に火がついていた東京サンシャインボーイズという劇団の作品だった。
既に舞台を始めていたおいらには、観ない理由がなかった。
そう、今、新作映画のプロモーションで毎週のように顔を見る三谷幸喜さんの作品だった。
監督は、中原俊さんだった。
あの頃、まさか誰が三谷幸喜がここまでの映画監督になるだなんて思っただろう?
やっぱり猫が好きの台本はもう書いていたと思うけど、ドラマ台本はまだだったと思う。
小さな小さな映画館。
そこから、三谷幸喜さんは映画人生をスタートさせた。

セブンガールズの映画化を考えて。
じゃあ、やってやるぜ!と勝手に出来るわけがない。
セブンガールズという作品には作家がいる。
デビッド・宮原だ。

この映画化実行委員会を思いついて。
すぐにデビッド・宮原に確認した。
当然、映画化するとなれば、脚本・監督はデビッド・宮原になるからだ。

雑誌のエッセイに始まり。
劇団の座付き作家兼演出家を重ね。
週刊モーニングにて漫画原作での連載。
今は、映像にも手を伸ばしていて、ショートフィルムなら、
「ラブストーリーに罪はない」
「スプリットの恋」
と、既に2本の作品を発表している。
連続ドラマ「泣きめし今日子」も、続編「泣きめし今日子2」まで全て監督・脚本を担っている。
作家として、次は長編映画かそれとも小説か?という段階だと思う。

当然、長編映画の話もある。
まだ発表も出来ないような企画段階のものも含めれば、いくつか聞いている。
少なくても、デビッド・宮原で映画を製作したい!と言ってくださる人がいる。
長く一緒にいる劇団員たちも、デビッド・宮原の描く物語をスクリーンで観たいと願ってる。
そんな話の中で、いつだったか聞いた話がある。
まず低予算で長編映画を一本やってみないか?と言われたという話だ。
アルゴの時代と違って、今は単館上映館が増え、全国ロードショーなどではない映画が増えている。
低予算映画と呼ばれる映画もどんどん増えていて、クオリティもどんどん上がっている。
そしてそういう映画が、日本だけではなくて、国外でも評価されるようになってきた。
「低予算映画」それが、今回のキーワードだ。

そんな段階のデビッド・宮原にこの話を持っていった時に。
そんなの大変じゃん。やらないよ。
…そう言われるんじゃないかなぁと、ドキドキしてた。
そう言われても何にもおかしくない。
実際に、映画の話だってあるし、テレビの仕事をしているし。
実現するかどうかもわからないような話、通用しない可能性の方が高い。
そして、そう言われてしまえば、その瞬間にこの企画自体が終わってしまう。

もらった言葉は。
「やれるだけ、やってみな」
そんな言葉だった。

おいらは思っている。
デビッド・宮原はあの時の三谷幸喜だ。
まだ一部の人間しか発見していないオモシロ作家だ。
世間様がただ知らないだけ。
だから、やって欲しい。撮ってほしい。
そういう人が周りにやってくる。
そのデビッド・宮原の最高傑作の一つが「セブンガールズ」だ。

もちろん、まだまだ困難な壁が次々にやってくるのはわかっている。
やれるだけ、やってみな。
どこまでを想定した「やれるだけ」なのかはわからない。
でも、役者としてのおいらは、いつもデビッド・宮原の想定を超えようと歩んできたつもりだ。
だから、今回もあっけらかんと、当たり前に、想定を超えていこうと思ってる。

おいらの、やれるだけはどこまで続くだろう?

最初の壁は超えた。
作家兼監督の承認をもらった。

確実な一歩だ。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 23:08| Comment(0) | 序章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする