2018年01月19日

スタイルとイズム

「また来てマチ子の、恋はもうたくさんよ」を観る。
リアルタイムで観れる環境にある。
・・・まぁ、観れないとしてもGYAO!で観れるのだけれど。

観ていて、思ったのが、金井監督のことだ。
金井監督の映画に劇団員が出演したのをきっかけに、いくつか作品を観ている。
監督の今までの作風を思うと、このドラマは作風が大きく違う。
リズムも違うし、芝居の捉え方そのものも違う。
おいらが参加した短いPVなどの作品はまだ近いけれど・・・。
もちろん、映画は自分でシナリオを書くところからやっているから純度が高いはずで。
こういう作品も出来ちゃうんだなぁと、少し驚いている。

作風・・・。
作家や、物づくりの人には、必ず付いて回る言葉だ。
あの人と言えばこういう作品という、一発でわかるようなものだ。
黒澤映画、小津映画、北野映画、深作作品などなど。
やはり、作風、スタイルというのは、持っている。
ファンは、純度の高いものを求め続ける。

けれど、意外にも、どんな作家も、自分のスタイルとは違うような作品を時々世に送り出す。
あれ?こだわってたんじゃなかったの?と拍子抜けするほど、別の作風に挑戦する。
ハードボイルド作家が、急に歴史小説を書くようなことは意外に普通にあることで。
作風やスタイルを大事にしているのは、意外に、ファンなのかもしれないなぁなんて思う。
これを撮影させたら抜群!という人に、プロデューサーが別の作品も・・・ということもあるのだろうし。
作家自身が、たまに、ちょっと変わったこともしたくなるのだろうと思う。

ただそれも、スタイルが確立されているからこそ言えることで。
スタイルなんか何もなければ、色々なことをやるほど、何をやってるんだ?と言われてしまう。
この辺のバランスがとっても難しいんだろうなぁって思うけれど。
スタイルなんて、持ちたくないよと思う人もいながら、スタイルの確立も目指すのだと思う。

セブンガールズは、実は監督が書いてきた作品の中では、少し特殊な作品だと思っている。
クライマックスまでの流れなどが、多くの作品とは違っている。
舞台の時も、それまでになかった挑戦をした作品だった。
ただ絶対に、変わっていない部分もあって。

それは、スタイルとイズムの違いだと思う。
スタイルなんて、しょせん、スタイル。うわもの。
イズムは、もう一歩踏み込んだ、精神的な部分も含んでいる。
イズムは、現場で会ったり、稽古場にもあるもので。
空気のように常にそこにあるもの。
イズムがない作家なんて、恐らく、誰からも作家と認めてもらえないんじゃないだろうか。

意外に、この線引きをきちんと出来ていない人って多い。
スタイルとイズムの間にある線は、意識してもいいぐらい大事なものなのに。
映画評論なんかを読んでいても、そこがごっちゃになったまま作風について書いている人もいて・・・。
まるで違うのだけれどなぁ。

スタイルは、真似は出来ても、受け継ぐことは出来ない。
なぜなら、同じようなスタイルをその後創ったって、真似だと言われるだけだからだ。
全ての創作者は、自分の中から生まれるモノを形にすることでスタイルを確立する。
逆に言えば、新しいスタイルを作った時こそ、何かを受け継いだ瞬間だと思う。
それに比べて、イズムは、受け継いでいくものだ。
血縁なんかよりもずっとずっと濃い遺伝力を持っている。
監督の持つイズムは誰かから受け継いだものなはずだし。
恐らく、おいらも含めて、無意識に既に色濃く受け継いでいるだろう。
役者と言う立場であったとしても、イズムは受け継がれていく。

強く意識しないとなぁと思う。
スタイルはもちろん持つべきものだけれど。
その向こうにイズムがあるという事を。
それがなければ、スタイルはただのファッションになってしまう。

お客様にはいったい、どんなふうに伝わっているだろうか?
おいらたちの持っている、このイズムが。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 02:32| Comment(0) | プロモーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月18日

詩を読む

劇団員が「クレーの天使」という詩集を貸してくれた。
先週、ドラマを観て書いた感想に出てきた本だ。
持っている人がいるとは・・・。
クレーの絵画と、谷川俊太郎さんの詩が並んで、まるで絵本のような本だ。
いや、絵本の体裁をとっているのだと思う。
詩は、全て、ひらがなで書かれているのだから。
きっと、子供たちも手に取ることを想定して書かれているはずだ。

かわいい。とか。
美しい。とか。
人によっていろいろな感想があると思うのだけれど。

いつか読んだ時の感想はもう覚えていないけれど。
とにかく、大人になったおいらが読んでみて思ったのは、怖いなぁということだった。
「天使」という存在を、「畏れ」のように感じるとは思わなかった。
怖い本だ、これは。
無垢なもの。無意識にあるもの。
そういうものの持つ危険性まで、あからさまにしている。
きっと、読む人によって感触が違うのだろうけれど。
今のおいらには、そういう感触ばかりが残った。

理性と本能という言葉があるとすれば。
ここに書かれていることは、本能に近い何かだ。
良心のようなものもあれば、暴力性のようなものも潜んでいる。
もっともピュアな場所にこそ、狂気が潜んでいる。

そう思って、クレーの絵を観ると、どこかで何かが柔らかくなる。
ゴリゴリとした自分が、実は何かを守るためにガチガチになっているだけだと気付く。
当たり前で誰でも知っているようなことを、なんでこんなに簡単に忘れてしまうのだろう?
忘れっぽい天使は、微笑んでいる。

詩集は、久々に読んだ。
一時期、読み漁っていた時期もあったのだけれど。
現代詩になると、難解すぎて、集中するほど疲れるようになってしまって、やめた。
久々でも集中して読むことが出来た。

天使は他者か。
それとも、自己の内に潜む何かか。
或いは、集団の中に眠る幻想か。
そうじゃなければ、その全てを含む、トリプルミーニングか。

じゃあ、おいらの中の天使に聞いてみよう・・・なんて口にしたら最後。
おい。自分の中の天使とは、自分なのか?自分の心なのか?自分の本心なのか?と無限に続くことになる。
まるで、自分の中に天使という他者がいるかのように、簡単に口に出来ない。

昔から不思議だった。
悪魔は、神様の反対の言葉だと思っていたのだけれど。
天使と悪魔、なんていうぐらいだから、天使の反対らしい。
恐らく、神様は、何かと比較できないものなのだろうなぁ。
心の中の天使。心の中の悪魔。
天使は、堕ちると、悪魔になる。
この詩集には、悪魔の匂いも漂っている。
堕ちる可能性があるのだから、天使は完全な存在ではない。

本当の意味なんか知らない。
自分が感じたことが詩の全てだ。
難解でも何でもない。
今、ここにあることが、全てだ。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 02:37| Comment(0) | プロモーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月17日

ダイナマイト

技術革新の凄さに驚くのももう慣れてきたのだけれど。
結局、技術の革新の行き先がエモーショナルな方向に進むのは、とっても面白いと思う。
スマフォのカメラだけを見ても、それまでの方向性から大きく変わってきた。
画素数がどんどん増えていった時代は過ぎて、1画素当たりの表現力に変わっていたりして。
デジタルな感じに突き進むようで、実は、どんどんアナログな感じに戻っている。
こういうのって面白いなぁと思う。

特に最近の話題はAIなわけだけれど。
人工知能も、ただの状況判断から、今や、エモーショナルな方向に進み始めている。
むしろ状況判断に関しては、頭打ちというか、行くところまで行った感じすら漂っている。
あとは、判断スピードや正確性をどれだけあげるかという感じで・・・。
なにせ、自動運転の自動車の本格導入が検討されるぐらいになっているのだから。

AIが発達すると人類が滅ぶという科学者がいる。
いずれ、人類がAIにとって代わられてもおかしくないという予測で。
そんなSFめいたことが本当にあるのだろうか?と日本にいるといぶかしんでしまうけれど・・・。
実は、それも、日本ではあまり報道されないだけで現実感のある話だったりもする。

最近、テレビでもなんでも、ドローン撮影をバラエティなんかでもやったりしているけれど。
ドローンにしても、AIにしても、日本にいれば、便利になったり今まで出来なかったことが出来ることばかり注目する。
でも、実際には、科学技術の最先端というのは、実は文化的側面じゃなくて、軍事的側面でこそ活用されている。
数年前にイスラエルの、最新兵器見本市の映像を監督が観て、教えてもらったことがあったのだけれど。
無人の戦闘機がいまや、普通に売りに出されていたって驚いていて。
それで、自分でも調べてみたりしたのだけれど。
あれが、もう数年前なのだから、実は今、とんでもないことになっている。

実際にアメリカ空軍では、ドローン兵器が既に導入されている。
無人で空を飛び、AIによる自動操縦をされる。
数億ドルかかる航空兵器に比べて、圧倒的なコストパフォーマンスであり。
かつ、運転者がいないため、実質、攻撃側の人的被害を抑えることが出来る。
機械が自動判断で、一個小隊を銃撃して帰還するなんてことが出来る時代が来ている。
無線操縦であれば、無線基地からの距離や、ハッキングの恐れもあるけれど、AIだとそれも変わる。
レーダーを備えて、自動運転で相手の攻撃を避けるし、エネルギーが減れば帰還するように設定されている。
まるで、鉄腕アトムの世界のようだけれど、嘘でも夢でも未来でもなく、現実にいま、そういう兵器がある。
これは、ころっと、世界を変えてしまう可能性もある。
圧倒的軍事大国を、AIの性能が、技術的に上回ることもあり得るという事で。
それが実現したら、世界は再び大混乱に陥る。
AIが、自我を持ったら・・・という想定は、こういう兵器があれば現実的にも思える。

でも面白いことに。
イギリスでは、対ドローン用のイヌワシがいるらしい。
ドローンによるテロや、情報活動を、イヌワシが攻撃して防いでいるのだそうだ。
すでにかなりの数のドローンを撃墜しているとか。
AIが発達しても、ドローンが発達しても、猛禽類にはなかなか及ばないというのもなんともおかしい。
結局、だからこそ、技術はエモーショナルな方向に行くのだと思う。
鳥の持つ知能と、感情。飛行能力。状況判断。
技術があっという間に越えそうで、越えられない何かをきっと持っている。

きっと、人の持つ発想力、想像力、創造力、そして感情は、全てにおいて鍵を握る。
文化的側面が、軍事的側面の発展をどこかで食い止めるんじゃないかと、淡い期待をしている。
AIが小説を書くとか、漫才を創るとか、映像編集するとか。
ここへきて、そういう報道も見かけるけれど・・・。
その作品を、良い悪いと判断できるAIなんかは、実はどこにも存在していない。
人工知能にとって「嘘をつく」ことがとてもハードルが高いことだと言われているけれど。
だとすれば、人工知能が「演じる」ことは、まだまだ到達できない領域なんじゃないだろうか。

いずれ、自分の頭の中で思い描いたことを、より手軽に表現できるようになっていく。
感情表現も、今よりも多彩になっていく。

ダイナマイトを発明したノーベルさんは、その膨大な資金で平和賞を創立した。
なんだか、そういうことに似ている。
時間は後戻りできないのだから、技術発展、革新は、これからも続いていく。
人が介在しないような戦争もどこかで起きるかもしれない。
でも、きっと、その中で。
映画も舞台も、プロスポーツも、文化全てが。
同じように進化して、軍事とは反対側への表現も進化していってくれると思っている。

そこに、表現をする人がいる限り。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 04:35| Comment(0) | プロモーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする