2018年04月20日

劇体験

演劇にのめり込んでいった頃、ありたあらゆる舞台表現に足を運んだ。
時にはお手伝いをして、時には招待券を譲ってもらって。
それこそ、時間とお金と機会があれば、なんでもかんでも。
伝統芸能、新劇、アングラ、ミュージカル、商業演劇、小劇場、ダンス、ライブ。
とにかく、なんでもいいから観に行けるものがあったら行った。
それは、新しい感動がみつかるかもしれないという期待からだった。

その中でも劇体験というのは大きかった。
それこそ、ストリップ小屋まで足を運んだのだけれど。
様々な舞台表現の中で、演劇だけが持つ劇体験と言う感覚があった。
初めてテント公演を観た時の感覚、舞踏を観た感覚、悲劇を観た感覚。
色々な劇体験を、したくて、色々な舞台を観に行っていた。

もちろん、小説でも漫画でも映画でも作品からもらう感動は変わらない。
ただ演劇だけが持つ劇体験と言う感動が確実に若い日のおいらにはあった。
暗闇から浮かび上がる役者に、照明が揺れて、影が揺れて。
微かに紅潮していく生々しい表情から感じるそれは、映像にはないものだった。
息遣いまですべてが演劇だった。
役者の指先まですべてが演劇だった。

こんな感動をしたことはないなと、おいらは思った。
もちろん、劇体験に限らなければ、新しい感動は、どのジャンルにもある。
音楽でもあるし、映画でもある。
こんな映画があったのかよ・・・としびれてしまうことは、普通にある。
なんだったら、普通にテレビドラマやアニメーションや、何気ない会話に中にだってそれはある。
それは今でもいつでも求めていて、新しい物語、新しい作品を探し続けている自分がいる。

劇体験ってなんなのだろう?
それは、ある舞台では、時間であり。
ある舞台では、空気であり。
ある舞台では、合わせ鏡の中の自分であった。
目に見えないはずのものを見せてくれた。

緊張感のあるシーンは作れる。
音楽や、微妙な距離感や、照明効果で作っていける。
優秀な演出家はいとも簡単に、そういう緊張感を作り出す。
でも、緊張感が伝わる空気感は簡単には作れない。
役者と役者の間に流れる空気のようなもの。
そこにある微妙な緊張感は、芝居じゃないと創れない。
映像にもその空気を残すことが出来るけれど、その場にいるのとは大きく違う。
親の機嫌を敏感に感じ取る子供のように。
客席にいれば、その空気が手に取るようにわかったりする。
その連続が作品になった時、大きな感動を覚えた。
実際、当時好きだった作品のほとんどが、あまり物語がない作品ばかりだった。

劇場から一歩出た時に。
まるで夢から醒めるような、不思議な感覚があった。

ある人が、演劇とは肉体を持った詩だと言っていた。

テレビドラマを観ていて、ああ、凄い芝居だなぁと思う時に。
これ、生で見たら、とんでもないんだろうなぁなんて同時に思っている。
おいらが好きな役者は、やっぱり、そういう劇表現をしている。
例え目に映らなくても、映像には残りづらくても、それを忘れることがない。

自分たちの持つ最大の強みは、それを骨のレベルから理解していることだ。
形を整えれば、表情を決めて、セリフの言い方が完璧で、すばらしいカメラワークで、素晴らしい編集なら。
恐らく映像というのはとてつもない力を発揮する。
むしろ、演技していないようなカットでも、そういう力を発揮することがあるぐらいだ。
目に見えないものを多く含んだ演技だったとしても、形が整わないこともある。
どんな気持ちがこもっていても、カメラにそれが写らなければ、何も伝わらない。
それぐらい、映像というのは視点を固定されてしまう。
それでも、おいらたちは、もう骨身に染みているから、そこを忘れることがない。
そこが本当は一番大事なんだと、心の奥から信じている。
それは、やっぱり、大きな大きな強みだ。

バラエティ番組で、俳優が、泣けと言われて、涙を流すというような企画があった。
あれで、涙を流したら、すごいの?
なんにもないよ、その涙には。
幼稚園に行けば、殆どの園児が、嘘の涙なんか流せるよ。
そんなもんで、残念ながら感動なんかしない。
こっちは、ちゃんと劇体験してきたのだから。
役者が泣きたくなくても、泣けてきてしまうような場面だって何度も巡り合ってきた。
泣けるからすごいんじゃない。涙を流せるのが凄いわけがない。
泣いてしまうほど、その役になり切っていることや、感情が揺れていることが凄いんだ。
その空気を知ってる。空気を見てきている。

そんなことばかり考えている連中で映画を創った。
形に拘っている部分がないとは言わないけれど。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 03:30| Comment(0) | 序章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月19日

Blowin' In The Wind

夜になって連絡がある。
その為には近々で印刷物の準備が必要だった。
その場で早期入稿納品が出来て予算がかからない業者を調べて、本日中の入稿を決める。
頭の中でイメージを作って、必要な素材、必要な連絡をまとめていく。
帰宅しながら連絡をして、許可関係をもらう。

その電話で別件だけれど、セブンガールズの公開に向けて一歩進んだ。
プロモーションに向けての打ち合わせが待っている。

帰宅して、作業をしようとすると、アプリケーションが立ち上がらない・・・。
再インストールしても、どうもエラー終了が続く。
WEBで検索して、修繕方法を探してもどこにもない。
なんとなく予感がして、再起動をすると、更新の文字。
さては、OSの更新待ち状態だったのがいたずらしていると予感。
再起動してみると、無事立ち上がり、ほっとする。

もっている材料は少ない。
時間があれば、もっとちゃんとフォントなんかも探すのだけれど。
既にある材料と、必要な材料を集めて、なんとか仕上げる。
入稿〆切の30分前に無事入稿・・・。
まぁ、〆切が過ぎたら特急便にすればいいだけなんだけれど。
予算で考えれば、少しでも早い方が良いに決まっている。
連絡が来て、それから5時間で納品準備まで出来れば上等だろう。
良かった良かった。
解像度は度外視したけれど。
仮の印刷物だから、むしろ、それで良い。

スピード感はとても大事だ。
特に今の時代は。
映像の直しでも基本的に次の日には納品するようにしている。

ほっとしてから、打ち合わせについて考える。
さて、その日はまだ決まっていないけれど、それまでに用意できるものがあるかどうか。
打ち合わせ内容などは、恐らくここに書けない事ばかりだろうけれど。
着実に公開に向けて一歩一歩進んでいることだけは、伝えていきたい。

劇団とは違う。
もっとずっと広い場所で告知が開始されるのだから。
調整も、自分たちの中での調整ではないのだ。
そういうことをしっかりと考えていかないといけない。

そういえば、その電話で、作・演出やるんですねぇなんて言われた。
ああ、知ってるんだ・・・。
いや、それは、知っていて当然のことだし、隔してるわけでも何でもないけれど。
そう声で聞くと、お前は何をやるんだね!という言葉に聞こえてくるから不思議だ。
セブンガールズという映画や、それ以外で知り合った全ての人が、あいつの作品・・・と思って観るのか。
わかっていたことだけれど、改めて、ああそうかという思いがある。
いや、まぁ、大したことないですよぉなんて軽口を叩きながら。
していないかもしれないけれど、期待に答えなくちゃいけないなぁと改めて思う。
近いうち、監督にも通しを見せる日がやってくる。

面白いなぁ。
面白い日々だ。
少し加速する追い風を感じる。

風の中にいる方が、自分には合っている。
Blowin' In The Windの邦題は「風に吹かれて」か・・・。
「風の中にある」が正解なんじゃないかなぁ。
感覚的にそう思うだけだけど。
最初に訳した人の詩的感覚の違いなだけだけれど。

風の中にいる。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 03:09| Comment(0) | 序章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月18日

作家は語らない

映画の宣伝を色々観ている中で。
やっぱり、監督自身が「面白いです」とか「良い映画です」なんてコメントを出すケースは殆どない。
冗談ぽく言ったりする場合はあるけどさ。
それは別に映画だけではなくて、例えば、小説でもいいし、漫画でも良いのだけれど。
作家が、作品を面白いと宣伝するなんてことは、難しいことだ。
大抵の映画監督は、見どころは誰だれのこんな芝居ですとか、素晴らしい原作で・・・とか。
とにかく、自分の作品は、当然、自分のあらん限りの力で創っているわけで。
それ以上のことは出来ないのだと思う。
凄く面白い映画ですよ!と宣伝をしているのは、常に出演者たちだ。

色々と勉強している中で。
今、自分で5月の舞台の作・演出をしていて。
ああ、これは、言えないなぁと実感している。
胸を張って、舞台に立つし発表するけれど。
だからと言って、面白い舞台だよ!とか、凄い舞台だよ!というのは中々難しい。
そう思って稽古をしているし、そう思って考えて書いているのだから、言えばいいのだろうけれど。
もしかしたら、そんなふうに言葉にしちゃうのが軽すぎるのかもしれない。
そんな、簡単に面白いなんていうような作業をしていないという無意識がある。
観ていただく以上のことはないから、言葉では軽すぎる。

映画作品のHPやチラシには、大抵、監督のプロフィールが掲載されているけれど。
「天才的な・・・」とか、「話題になった・・・」とか、やっぱり書かれている。
本人もチェックする場合があるのだろうけれど、きっと恥ずかしいだろうなぁ。
いつも、舞台の宣伝では、一度、監督にチェックしてもらったり、監督にあらすじやキャッチを考えてもらったりするけれど。
やっぱり、映画ではそういうわけにはいかないなぁと思う。
まぁ、嘘を書くつもりはさらさらないけれど、控えめにしてしまうのはやっぱり良くない。
宣伝は、宣伝と言う客観性が必要で、監督自身が触ってはいけない領域なのだと思う。
なんだったら、宣伝方法や宣伝文句、キャッチコピーを観て、文句を言っているぐらいが普通じゃないだろうか。
そう考えないと、理解できないような宣伝も意外に多い。
自分がこの作品の監督だったら、こんなに大袈裟に書かれちゃうと困っちゃうだろうなぁと思うような宣伝が。

映画会社であれば、宣伝部や営業部、様々な部署との打ち合わせの上で、決まっていくものだ。
プロデューサーの仕事の中心にあるもの。
そこに、どこまで提案できるか。
一歩でも二歩でも、前に進んでいかないと。

そういえば、演劇のチラシは、A4が多いのだけれど、映画のチラシって、B5ばかりな気がする。
なんでなんだろう?
不思議だけれど、単館映画館などのラックは、もしかしたら、B5がちょうどよい大きさかもしれない。
昔の映画館は、扉の外に棚みたいなのがあって、灰皿があって、革張りのベンチがあって。
チラシを適当に集めて、煙草を吸いながら、よく読んでいたなぁ。
記憶に残るチラシは邦画ばかりだけれど、マイナーな洋画なんかも置いてあった。
前衛的なデザインのチラシなんかもあって、面白かった。
今は、どうなのだろう?
煙草を吸いながらゆっくり観るのは、中々難しい時代だから。
まとめて持って帰って、後で、喫茶店で読むのかな?
それだと、ちょっと、自分としては違うのだけれど。
あの時に置いてあったラックは木製で、チラシとぴったし同じ幅だった。
まぁ、あんなラックが今の映画館にあるわけがない。
今は、プラスティックの、綺麗な奴なんだろうから、A4でも良いかもしれない。

イメージをばくぜんとした状態から汲み上げていく。
提案出来るなと思える状態から、たたき台として、送るつもりだ。

監督がコノヤロウ!って口にしちゃうような、宣伝が出来れば、本当は一番いいんじゃないだろうか?

かっこいい映画だから。
かっこいい宣伝が出来るといいなぁ。
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posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 03:00| Comment(0) | 序章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする